今朝起きて、髭を剃ろうとしたら電気シェーバーが故障して動かなくなっていた。
昨晩、風呂で使ったときは全く普通だったのに、前触れもなく壊れてしまったようだ。何度スイッチを入れても反応せず、もちろん充電が切れているわけでもない。
電気製品が壊れるのは、例えば靴のヒモが切れたときのように、縁起とか、ジンクスとか何かあるのだろうか。少し気にかかった。
というのも今日は特別な日で、亡くなった妻の、生きていれば51歳の誕生日だったからだ。
ネットで調べてみると、電気製品の故障は、スピリチュアル的には新しいステージに向かう良い知らせの場合もあるらしい。しかし場合によっては悪い知らせの場合もあり、故人からのメッセージとも考えられるのだそうだ。要するにこれといった答えはなく、どうにでも解釈できるらしい。
4年前、家族3人で映画を観たあと、家電量販店に寄って買ったシェーバーだった。あの時、妻は全く健常で、わずか数年後に命を落とすなどと夢にも思わなかった。
妻が、亡くなった後、家にある色々なものを見るとき、これは妻と一緒に買ったもの、これは妻が亡くなったあとに買ったものと、無意識に選別してみる癖がついた。
中には妻と知り合う以前から使っているものもある。妻と過ごしたのはわずか17年間なのに、捨てられずになんとなく残しているビデオデッキは、20年以上ゆうゆうとわが家にある。
最も大事なものとは、本来、最も長く付き合いたいのに、そうはいかない不条理がある。大事な順に長く付き合うのでないことが悲しい。
4年間使ったシェーバーが、不調も一度もなく、急に壊れたのは、妻が何かメッセージを送りたかったからなのだろうか。
分からない。
考えてみれば当たり前で、そもそもALSの症状が進んだ最後の頃、生きている妻の考えていることすら分からなかったのだ。
話せないし、文字盤も示せない。併発した前頭側頭型認知症のせいか、意識も朧に見えた。
生きていてすらコミュニケーションが取れなかったのに、亡くなった後のメッセージを読み解くことなど出来るはずもないと思う。
夕方、学童保育にあずけている娘を迎えに行った。娘はいつも迎えの車の中で、今日の出来事を話してくれるのだが、今日は、余程話したくて仕方なかったのか、車に乗る前に、靴を履きながら息せき切って話し出した。
「今日、怖いことがあったよ!!」
だそうだ。学童保育の教室は、二部屋に別れていて、そのうちの一部屋が急に暗くなった。その後、娘は背中にぞくぞくしたものを感じたのだそうだ。
「部屋が暗くなった」というのはどういう状況かよく分からないが、とにかく娘はそう言った。
「それは、ママが来たからじゃないの?今日はママの誕生日だしさ。」
「そうだった!!」
「そうだったって、忘れてたの?朝言ったじゃん。」
「聞いたけど昼間は忘れてた…」
それから娘と、ママの気配を感じた経験をあれこれ話し合った。娘が風呂場で、ママのファンデーションの匂いがするのを感じたこと、寝ているとき、うめき声のような音が聞こえた気がしたこと。
「今、車の中にいるのかな?おーいいる?」
などと言いあい、そのまま車を走らせて、ママに供えるためのケーキを買いに行った。