前の記事の補足をしたい。

書くべき最も重要な内容が抜けていた。


僕は、娘に「彼女がいて嬉しいと言え」と言わんばかりの物言いをしてしまった。そんな風には言っていないが、押しなべて言えばそういう意味のことを言った。


その言葉への反応で「ママの方がいい」という言葉を引き出してしまい彼女を傷つけた。


それに対し、前の記事では「人は、本意でないことも言う」といった安易な一般論を適用させて責任回避しようとしてしまった。恥の上塗りのようだ。やはり、全て僕が至らなかったのが原因だと思う。


実のママが一番で当然といったコメントをいくつかいただき、そのことでまた、かなり悩んだ。確かにそうなのだが、何故悩むのか自分なりに考えてみた。


「実のママが一番」


彼女も頭で理解しているとは思う。しかしその言葉を突き付けられたときの心の反応までも圧し殺すことは、不可能だろう。


例えばもし僕に娘がいなければ、しなくていい苦労を、彼女は背負って頑張ってくれている。彼女はもともと、小学3年生の見知らぬ子供の母親になりたくてなりたくて僕と付き合い始めたわけではなく、僕と知り合った後に、娘も含めて付き合いを続けてくれているのだ。


結果的に、まま母的な立場に立ち、葛藤を負うことになった。その葛藤は、その立場に立たなければ分からないほど深刻なものだ。


その分の苦労を負い、しかもあなたは「当然2番です」、あるいは「比較すること自体が間違いです」と言われる。


葛藤しながら、どんなに頑張っても絶対に1番になれない気持ちというのはどのくらいのものか。さらに、そのことを理解していて当然で、心も反応しなくて当然ですねと、ごく自然に周りから考えられてしまう気持ちはどのくらいのものか。


皆が、娘や、亡くなった妻のことを大事にと口を揃えて言ってくれるが、彼女には、あなたは自分の立場を理解して当然というもの言いに、自然となってしまう。それは、傷つける意図もなく自然にそうなる、一般的にそうなってしまうという話だ。


それらのことも含めて、とても酷な立場に彼女を置いているのだと、まず僕が認識しなければいけなかった。


安易な一般論で誤魔化そうとした前の記事が、誤っていたという点を補足しておきたい。


解はないけれど、結局、それらのことを知りおいておき、事に当たるしかないのだと思う。


さらに上の記述、コメントをくださった方に申し訳ない内容でもありますが、あらためて考えるきっかけになりました。

ありがとうございました。コメントくださった全ての方に、お詫びも含めて、感謝申しあげます。