今日は、妻の8回目の月命日だ。仏壇には、妻が生前好きだったチーズケーキとお花をお供えした。



そろそろネタが尽きかけているが、毎回、あちこちでチーズケーキを買ってお供えしている。



 




このような感じだ。

この日が巡ってきても、最近はあまり落ち込まなかったのだが、今回は今日一日、妻の想い出にとらわれてしまった。

妻が亡くなる数時間前に撮影した動画が残っていて、まだ命の危険を思わせる予兆が全くない中で、僕の呼び掛けに答えて脚をパタパタとさせているものなのだが、その動画をつい昨日、久しぶりに見てしまった。そのせいで気持ちが引っ張られことが一つ。

今朝たまたま「ルパン三世 Part6」放送のニュースを読み、妻と会って間もない頃に、モンキーパンチと宮崎駿のそれぞれのルパンの話をしたなと思い出したことが一つ。

それからもう一つ。たまたま月命日が皆既月食の日と重なったため、同じ「月」を含む言葉の妙な一致と、チーズケーキの黄色からの連想で、何か特別な意味があるように思えていたという、何だか分からない、上手く説明できない、妙な心の引っ掛かりが大きな理由だ。実はここ数日、ずっとその引っ掛かりにとらわれていた。

朝、娘を通学班の集合場所まで連れて行き、そのまま僕は出勤するのだが、その道すがら、娘に月食の起こる理由を説明してみた。

娘は「ふーん」と言ってそれほど興味を示さず、僕が引いて歩いている自転車にまたがって、そっちに夢中だった。

その後僕は、自分が初めて月食を観察した小学生の日のことを思い出し、あれはいつの事だったのだろうかと、不意に調べてみたくなった。

珍しい月食が夜中に起こることを知って、母に頼んで、その時間に起こしてもらった記憶がある。母は、夜中に起きなければならないことをとても嫌がったが、何とか納得してくれ、僕は欠け始めから終わりまで、スケッチしながら観察した。

小学四年生まで住んでいた家での出来事なので、四年生以下だったのは間違いない。

当時、理科少年だった僕は、宇宙や星がとにかく好きで、月食を見られることをかなり楽しみにしていた。ところが欠けても欠けても、赤黒く月の形が見えていて、「食」というほど綺麗になくならず、興奮する一方で、今回の月食は出来が悪いのではと、期待外れな感じを受けたことを覚えている。光の波長の関係で、月食の月は赤くなるのだと知ったのは、その後のことだ。

その頃に、将来、どんな仕事をしたいか学校で聞かれ、「科学者」と書いて提出したら、先生に「自惚れるな」と真面目に怒られたことがあった。何故、希望を書いたのに怒られねばならないのか心底不思議で、悲しかったが、あれも間違いなく四年生の先生だった。月食を見たのはあの頃のはずだと思う。

スマホで調べて見たら一瞬だった。朝の通勤電車の到着待ちの、わずか数分の間に答えが出てしまった。

1978年3月25日、最大食が午前1時22分。おそらくこれだろう。時刻も大体記憶どおりだ。小学3年生の本当に最後の頃だったようだ。

娘は今、小学3年生。3年生になったばかりで、ほぼ丸一年ずれているが、それでも一応、同じ学年だ。一致したのがますます不思議に思え、今夜は絶対に月食を見るぞと心に決めた。

朝、月食に興味を示さなかった娘だったが、昼間、学校で先生から説明を受けたらしく、帰宅したときには絶対見る!と盛り上がっていた。

2人して早めに風呂を済ませ、ママの仏壇のお参りも済ませ、午後8時を待った。

結果的には、月がどこにあるのかすら分からない厚い雲のせいで、全く見ることが出来なかったのだが。

何か意味があるように思えた一日だったが、変わったこともなく終わり、娘はついさっき寝入った。

月食の代わりに、お供えしたチーズケーキを、僕が跡形もなく食したと、蛇足を加えてこの記事を終わろう。

と思ったが、あまりにくだらないので、もう一枚写真を付け加える。


妻の遺影に、ヒマワリの花びらで髪飾りを付けた。この間の土曜日に、娘と彼女がふたりでしてくれたものだ。

ヒマワリの黄色を月に見立てて、今度こそ終わる。