わが家は、シングルファザーと小学3年生の娘、2人だけの極小家族だ。

週末は、そこに彼女が加わってくれて3人になるが、やはり大っぴらに3人家族とはなかなか言えない。

一方、3人で「新家族」という名前のLINEグループを作っている。しばらく前、結婚して本当に家族になろうと話し合っていた頃に作ったグループだ。

その後、実際に同居してみたが、彼女にとっては負担が大きく、結婚は無理という話になった。

こう書くとサラリとした感じになるが、同居をしかけて、やはりやめるという話になったときは、かなり揉めた。

同居解消イコール破局かというところまで話が及んだが、結局のところ僕は彼女が好きで、娘も僕以上に彼女に会いたがっており、少し関係を緩めて、時々でもいいから楽しく過ごして行こうということになった。

今もLINEグループ「新家族」で会話をするとき、グループ名に多少胸が痛むが、この少し緩くなった関係が「新家族」の形なのかなと思い始めている。

2人家族は「家族」と呼べる最低限度の人員数だ。これ以上減ったら「家族」でなくただの個人になってしまう。今、わが家は3人家族ではないかも知れないが、2人家族よりはずいぶん賑やかなのだと思う。

そのLINEグループを作った頃からずっと話題になっているのが「豪邸計画」だ。

わが家は、マンション暮らしをしている。亡くなった妻が元気だった頃に購入した中古マンションだ。まずまずの広さで駅も近いし、自分には十分過ぎる家だと思っている。

ところが娘は、そのマンションが気に入らないらしい。一軒家がいい、階段のある二階建てがいい、引っ越したいと何年も前から主張していた。

無理だと、ずっとはねのけてきたが、最近になって、娘と彼女が結託するようになった。

おそらく娘が、一軒家に住みたいと言い、それに彼女が話を合わせているうちに盛り上がったのだと思う。

下の写真は少し分かりづらいが、今年の2月20日のものだ。娘と彼女が、2人して地面に新居の間取り図とやらを書いている。


僕は横で見ていて、マンションのローンも残っているのに新居など無理に決まっていると苦笑いをした覚えがある。

しかしこの話題、意外にもこの日だけで終わらず、その後も繰り返されることになった。そのうちに「引っ越そう」「新居に住もう」から、「豪邸に住もう」へとエスカレートした。「豪邸計画」の成立である。

あまりに繰り返し話題に上るうちに、僕も少し気が変わった。

彼女を迎えて新たな生活を始めるのなら、新居は確かに魅力だ。娘も彼女も喜んでくれるだろう。スマホで物件を探したりもしてみた。新家族を作るのなら、真面目に考えなければならないことかもしれないと思った。

そう思って間もなくのこと、同居や結婚の話を取りやめることにした。ところがだ。


これは、つい先週のLINEグループ「新家族」のコピペである。

何と、同居や結婚の話は取りやめになったのに、「豪邸計画」だけは潰える様子もなく、脈々と続いているのだ。

結婚もしないのに家を買うなんておかしいだろうと言うと反論が返ってくる。


「家族」という言葉をネットで引くと、「同じ家に住み生活を共にする、配偶者および血縁の人々。」と出てくる。

つまり「家族」とは、まず土台としての家があって、その上に構成されるものであるという主張だ。確かに一応の理屈は通っている。「新家族」では、今もこのような会話が繰り返されている。


さて、前置きが大変長くなったが、この記事の本論はここからである。


家族が3人になると「多数決」という非常に不合理な制度が発動する。2人では成立しない「多数決」が、3人になった途端に幅を利かせるのである。

冒頭で2人家族、3人家族と、くどくど書いた理由はこれだ。3人という人数には実は大きな意味があるのだ。

本来、合意形成とは、納得の行く話し合いの上で図るべきものだと思う。「家族」のように不可分な関係の中で、数の暴力たる多数決によることなどあってはならない。3人家族は僕にとって理想であるが、家族であればこそ、意思決定は丁寧に行われるべきである。

端的に言って先立つものがない。豪邸を買ったら食事も生活もままならないものになる。


そこのところを、娘と彼女によく理解してもらうのが今後の課題である。