昨日、妻の四十九日法要と、お墓への納骨を済ませた。

妻が亡くなったのは9月26日で、四十九日に当たるのは、本来なら11月13日なので、まだ2週間も先なのだが、早めるのは構わないのだそうだ。七日ごとの法要は、来週もまだ続くが、それよりも早い納骨となった。

お寺さんと打ち合わせて日取りを決めたときには、あまり考えていなかったが、身近に遺骨がなくなると意外なほどに寂しい。出来るだけ遅い納骨にすれば良かったようにも思った。

納骨のためにお墓を開けると、僕の親父と、祖父と祖母の骨壷があって、その隣に妻の骨壷を置いた。しかし暗い墓の中で、さして親しくもない僕の身内と一緒に置かれるのが、何だか急に気の毒に思えて、今も妻が、お墓の中で寂しがっていないか気になっている。

納骨を終えた帰りの車の中で、珍しく義母としんみりと話した。こんなことを言っては申し訳ないが、義母はマシンガントークが常なので、一言ずつ会話をやり取りするのは珍しい。後部座席で娘が寝てしまい、義母と僕だけの会話になったのも大きかったと思う。

「お母さん、(妻が)亡くなってからも毎日手伝いに来てもらってすみません。お陰で、何とか仕事に行けています。」

「そんなこと大丈夫だよ。(娘のことは)わたしがちゃんと見ていくからね。」

娘は小学2年生。僕が出勤した少し後に家を出て学校に向かうので、その送り出しを毎朝義母にお願いしている。また、娘が帰宅するのは3時か、学童保育後の四時半頃になり、僕が帰宅する6時過ぎまでの間、かなり間が開くこととなる。その間の娘の世話や夕食の準備も義母にお願いしている。さらに月曜と木曜には、公文教室への送り迎えまでしてもらっている。

義母は車で5分の距離の近所に住んでいるが、それにしても毎日、朝夕わが家に通ってもらうのは申し訳ない。妻の介護が終われば後はのんびりというわけには行かず、昼間の娘の育児は、相変わらず義母に頼らざるを得ない状態だ。

義母が手伝いに通ってくれるお陰で僕は家を空けて働くことができているが、もし義母に何かあれば途端に立ち行かなくなってしまう。しかし若く見える義母も、もう73歳だ。これからもずっと今のような手伝いをお願いできるのか、先を考えると悩ましい。

それに正直、僕も仕事の上で多少の負担は抱えている。妻が元気だった頃は、仕事の様子に合わせて早朝に出勤したり、それなりの長さの残業をしたり自由にできていたが、義母に今以上の負担を強いるわけにも行かず、毎日、ほぼ完全に定時勤務にしているし、休日出勤も一切していない。飲み会や遊びも全て断っているし、それらは定年退職するまでずっと続くだろう。

さらに言えば、2年前は出先機関の管理職をしていたが、いざの場合に残業や休日出勤も出来ないのでは、とても管理職の職務を果たせないので、要望して、本部組織の非管理職に当ててもらった。今の役職なら何とか家庭と両立できるが、定年まで同じように扱ってもらえるのか、人事部署がどこまで応じてくれるかの保証もない。

世の多くのシングルファザーに比べ、贅沢な部類の悩みだと思うが、妻がいないのはやはり何かと不自由なのだ。

お義母さんには負担をかけますねと僕が言うと、あなたも前のようには仕事が出来ないから大変だよねと義母が言ってくださった。

「それに、話し相手がいないのは辛いでしょ。離れて住んでるけど、私は旦那に話せるからね。誰とも話せないのは辛いと思うよ。」

義母は、義父と別居しているが、いざの時にはやはり連れ合いがいるから気楽だと言った。さらに義母は続けた。

「あなたの歳なら、籍入れなくてもいいから誰かと付き合うくらいのことがあった方がいいよ、その方が私も安心だわ。」

ちょっとドキリとした。実はこのところずっと、そういったことを考えていたというか、妄想していたのだが、まさか義母からストレートにそんな言葉が飛び出すとは思わなかった。

妻がいなくなって寂しい。娘がいるもののやはり寂しい。連れ合いと過ごす時間が欲しいのがやはり本音ではある。

義母は続けて、再婚すべきかどうかは難しいね、夫婦が上手く行っても娘との折り合いがどうなるか分からないからね、などと言った。

実は妻のお姉さんは、長男を連れて今のご主人と結婚している。その長男は、もう成人しているものの、実母と継父に育てられた形になる。傍からみるとそれなりに上手く行っているように見えたが、義母によると、もちろん全く何もなかったわけではないらしい。籍を入れなくても云々という言葉が出たのは、そのあたりの経験あってのことのようだった。

実際問題、今の僕の年齢で、これから妻以外の女性と親しくなる機会など、ほぼないだろう。年齢をさて置いても妻以外の女性からは、ほぼ相手にされなかったのが僕の半生だ。この先何かがあるとは思えない。それでも義母の言葉は僕には嬉しかった。

「お義母さんありがとうございます、そんな風にお義母さんに言ってもらえるとは夢にも思いませんでした。正直、そういうことを僕も思っていましたが、本来考えてもいけないことだと思っていました。お義母さんが気遣ってくださって、ほんとにホッとしました。」

妻の四十九日も明けていないのに、そんなことを考えて申し訳ないと思うが、再婚か、そうでなくともと言った気持ちは常に頭の中でぐるぐると回っている。意識の底に押しとどめたい気もするがなかなかそうも出来ない。

それを、相談したわけでもない義母に理解してもらえたのが何とも嬉しかった。義母の立場なら、亡くなった妻以外のことを考えるな!と言っても全くおかしくないのに。

これから出会いがあるとは思えませんし、どうにもなりませんよ、いや分かんないよ、分かりますよ、案外いろいろあるんだって、そうですかねえ、などと話してその話題は終わった。

少しホッとして、それでも我に返ると状態は何も変わっていない。

連れ添うはずだった妻がいない。寂しい。幸せだった頃が懐かしい。もう一度楽しい日々を過ごしたい。そのためには出会いが欲しい。そうすればと妄想する。我に返って何も変わっていないことを思う。

お義母さんとは、妻の介護を通じて本当の家族に近づいたように思う。

妄想ばかりしている僕は、妻の死を悼んでいるのか、今後を利己的に打算しているのか分からない。

それでも、昨晩は少しよく眠れたような気がする。