妻が亡くなったのが9月26日。明日、10月26日で、それからちょうど1ヶ月になる。

10月は他にも色々なことがあった。
10月13日は娘の誕生日。
10月19日は、妻がALSと診断された日だ。
診断日は記念日ではないが忘れられない日になってしまった。あれから2年たたずに妻は、他界してしまったことになる。

高校の頃、ちょうどこの季節に読んだ、レイ・ブラッドベリの「10月はたそがれの国」という印象的なタイトルの短編集があって、僕にとって長年、10月になると思い出すものの第1位だった。何の悩みも疑いもなく、もちろん将来、妻を難病でなくすなどとは夢にも思わず、読書の秋を楽しんでいた高校生の頃。

しかし2年前、妻の診断があってからは、僕に取っての10月は、全く別の意味を持ったものに変わってしまった。これからもこの時期には物悲しい気分に襲われるのだろうと思う。

話がそれたが、妻がなくなって1ヶ月が過ぎ、少し気持ちが変わってきたように思う。落ち着いたとかそんな上品なものでなく、簡単に言うと「悲しみ」から、「怒りや不満」の感情に移行してきた感じだ。

妻の死を純粋に悲しむ気持ちよりも、結婚して幸せな家庭を持っていたのに、それを奪われてしまったことへの不満と怒りに似たような気持ちが大きくなった。妻を求めているのか、妻がいた「家庭」という満たされた状態を求めているのか、段々と後者に気持ちが傾いてきているようで、つくづく自分は俗物だなと痛感する。

特に土日の夕暮れ時、娘と自分だけがいる家の、どうしようもない寂寞感には、耐えられない気分になる。不思議と夜の方がまだマシなのだが、あの夕暮れ時の気分をこれからずっと味わって、敢えて行けるのか不安だ。

買い物に出て、夫婦連れ立っている全ての人達が羨ましくて仕方ない。また、老夫婦が連れ立って歩く姿をしばらく眺めてしまったりする。

アメブロのプロフィールの欄を少し編集しようかと思い、「未婚」、「既婚」の欄でハタと迷って、死別はどちらに当たるのだろうと思った。

ウィキペディアによると、

「未婚」は過去に結婚の経験が無い独身の状態(者)であり、過去に配偶者と離別・死別をした場合は「未婚」ではないため、「独身」と「未婚」は同義ではない。

とのこと。死別は「既婚」になるようだ。
一方、少し前に書いた国勢調査では「世帯2人」、「死別」、と選んだ。

こんな日が来るなんてと、ことある度に思う。

昨日、お寺様とお話ししたとき、これまで特に話していなかった死因について説明したところ、

「それも仏教的には、因果ということになります。」

と言いづらそうに仰られた。

もちろん妻に、ALSに対応するような因果はない。そうするとおそらく、それは前世からの因果だ、みたいな話になるのだろう。そういう、証明しようがない話はあまり好きではないので、因果などと言って欲しくないなぁと率直に思った。

繋がりのない、バラバラした雑記になった。
ただ、寂しい。