一昨日、木曜日のこと。

午後3時、娘が学校から帰る時間を過ぎても一向に姿を見せなかった。

小学2年生の娘を、誰もいない家に一人で帰って来させるのは心配なので、その時間帯には近所に住んでいる義母に家にいてもらっている。

3時までには帰るはずなのに、3時20分を過ぎても戻らない。

心配した義母は、通学路を歩いて様子を見に行った。しかし、娘の姿はどこにもなく、学校までたどり着いてしまった。

義母が担任の先生に話すと、ちょっとした騒ぎになった。何人かの先生方が、近所を捜索してくれることになった。

このブログの一番最初の記事にも書いているが、うちの近所には、精薄であるのか、どうも少し変わった青年がいるらしく、登下校時の幼児や児童を道に出てじっと見ていたりすることがあるらしい。

その人なのかどうか定かでないが、昨年、1年生だった娘が、知らない男の人に声を掛けられ、壁ドンされたと言っていた。防犯ブザーを鳴らして逃げたので幸い無事だったが、それからしばらくは、義母が通学路に迎えに出てくれたりしていた。当時1年生だった娘の言うことなので、どのくらいの雰囲気だったのか、正確なところは分からないが、何かがあったことは確かだろう。

午後3時半を過ぎたところで、職場にいた僕の携帯にも電話が入った。すぐに早退して家に向うことにしたが、家に着くまで30分程かかる。全身が粟立った。

妻が亡くなったのが、9月26日。それから一ヶ月弱しか経っていない10月22日のことだ。立て続けに何かの不幸があったら、僕にはもう生きる理由が見当たらない。

家に帰らないと言ってもまだ小一時間しか過ぎていない。しかし、もし見知らぬ男にさらわれれば、1時間もあれば致命的なことになる可能性も十分ある。

そんなことはない。亡くなった妻が娘を見守っているはずだ。いやそれとも、妻が寂しさの余り娘を自分のところに呼びよせたのだろうか。それなら僕も呼んでくれてもいいのに、とあらぬことを考えた。

その日の朝、娘は寒いからと言って黒いタイツをを履き、その上に気に入りのワンピースを着た。その姿を見て、もはや幼児でなく少女と言っていいくらいに成長したなと思ったところだった。

妻に似れば可愛い子になっただろうに、娘は、残念ながら誰もが認める父親似だ。それでもわずかに入った妻の血のお陰で、多少の可愛さは持ち合わせているように思うのは、親の欲目のせいなのか、僕の妻への欲目、ひいき目のせいなのか判然としないが、とにかく不審者に、可愛いと思われないとも限らない。大丈夫だろうか。あらぬことを考え続けた。

ごちゃごちゃと色々書いたが、結果は全く大したことではなかった。単に娘は、友達の家に寄り道しただけだったのだ。午後4時頃には居場所がわかり、連れ帰ることが出来た。

ただ、娘の話を聞いて、少し心が動くところがあった。その寄り道した友達の家は両親が共働きで、5時頃まで家に誰もいないのだそうだ。うちもママがいない、うちもいない、では遊ぼうかという話になったらしい。

入学して以来、娘が寄り道したことなど一度もなかった。妻が亡くなって、娘の心境にやはり変化があったのだろう。もちろん妻が生きていた頃も、帰宅した娘の世話を焼いたり話しかけたりすることはできなかったのだが。

事態が収束した後、義母から「苦労した」という同じ話を真面目に10回以上繰り返し聞かされた。1日で終わらず、昨日もまた同じ話を何度も聞かされている。取り越し苦労で疲れ、相槌を打つのにさらに疲れたという小事件の話である。