妻が亡くなってから20日程が過ぎ、金曜日には三七日も済んだ。
こまごまとした事を片付け、購入した仏壇も届き、色々なことが少しずつ進んでいる。

今日は娘と義母を連れて、水族館「アクア・トト ぎふ」に行った。名古屋近辺からちょうど良い距離にあり、水族館や観覧車を一角にした散策できる公園スペースもあって、デートや家族サービスで出掛ける人も多い。

裏返せば、幸せそうに見える人達が集う場所でもある。僕も妻と2人で出掛け、娘と3人でも出掛け、義母も含めて4人で出掛けたこともある。過去に何度行ったか分からないが、いずれも幸せだった頃の想い出だ。

義母がもう一度行きたいと言ったので出掛けたのだが、おそらくそのきっかけは、わが家の玄関に今も飾ってある写真だ。義母と、妻、娘、僕の4人が嬉しそうに笑って映っている、6年前の写真。もう一度行きたいと言った義母の気持ちは、言葉には表しづらいが、なんとなく想像できる。

ところで娘は無類の怖がりで、水族館の暗さや大きな魚が大の苦手だ。何度水族館に連れて行っても怖がって逃げるように飛び出てしまう。



これは例によって娘に描かされた漫画だが、2019年の1月、大阪の「海遊館」に出掛けたときのことを描いたものだ。

開館とともに入場したものの、怖くてとても見ることができず、ものの15分で挫折し、係の方に非常口から出していただく結果となった。

その娘が、今日の「アクア・トトぎふ」では、ついに

「怖くない、楽しい!」

と言ってくれた。そのうち慣れるのか妻と心配していたが、乗り越える日が来たようだ。

大阪の「海遊館」は、僕と娘の二人だけで観に行った。その時妻は、大阪の別の場所で漫画同人誌のイベントに一人で参加し、多くの友人に会っていた。ALSの診断を受けて間もない頃で、何とか一人で行動できた頃だ。もちろん夜は、家族でホテルで過ごした。最後の遠出になった大阪行きだった。

そう言えば、確か初めて「アクア・トトぎふ」に行った時、妻と二人だけで観覧車に乗って、記念に日付入りのメダルを作るよう勧められたので、僕が作ろう!と言ったところ、妻にクールに「いらん」と言われて、やめてしまった。あのクールさは妻らしいが、今にして思えば何としても作っておけば良かったように思う。

今日の「アクア・トトぎふ」は、観回る間中も、その後の帰り道も、ずっと湧き上がる想い出と戦い続けて、気持ちがグッタリとなった。

実は最近、「娘さんがいるのが救いですね」といった類の言葉を、ちょっと重く感じるようになってしまった。妻が亡くなってしばらくは、そんな風に思わなかったが、やはり、ごく正直にいうと、妻がいなくなって空いた穴は、娘では埋まらないのだ。

もちろん娘は最愛であり、腑抜けになった僕の、存在理由の全てだが、だからと言ってそれですべてを埋められるわけではない。そこのところ、もう少し詳しく書きたい気もするが、書いたところで妻は帰って来ないし、穴は埋まらないし、どうせ何をしても埋まらないんだとやや無気力になっているところがある。

こう書くと「娘さんがいるから」という意味のコメントをくださった皆さんに申し訳ないのですが、そういう意味ではなく、一つ一つ感謝して読ませていただいているのですが、娘に救われる実感を持ててもいないのが偽らざるところであり、すみません。

どうしたらいいのか分からず、ネットで「50代、再婚、子連れ」なんて言葉を検索してみたり、検索してどうするんだと自己ツッコミしてみたり、何ともメチャメチャです。

取りとめない記事が続いており申し訳ありません。