昨晩、悪夢を見て夜中に目が覚めた。
時計を見ると午前3時だった。

ベッドに娘を寝かせ、その横に布団を敷いて寝ているのだが、悪夢にうなされた僕は、娘が寝ているベッドを何度も足で蹴りつけてしまった。

「すごいガンガン蹴ってたよ」

驚いて目を覚ました娘が、僕に言った。
そうだったのか。寝ぼけて容赦なく全力で蹴ったようで、足が驚くほど痛かった。

過去に、寝言を言ったことくらいはあるが、寝ぼけて何かを蹴ったなどという経験はない。夜中に起こしてしまった娘にひたすら謝って、もう一度寝直した。

誰か知らない人に、お金か何か大事なものを勝手に持っていかれて、追いかけた夢だった。何を持っていかれたのか曖昧でよく覚えていない。なかなか追いつけずにバタバタした足が、本当にベッドを蹴っていたというわけだ。

ベッドをガンガン蹴ると言えば、生前の妻の、最後の様子が思い出される。トイレに行きたくて、あるいは何かを訴えたくて、妻は唯一動く足で、ベッドの柵をガンガンと蹴った。そのせいで足の甲を擦りむいたり、痣ができたりしたほどだ。夜中でも構いなく、2時、3時を回ってもガンガンと音が聞こえ、その度に起こされたものだ。

妻の霊が働きかけて、あるいは僕に乗り移ってベッドを蹴ったのだろうか、ついそんなことを思ってしまう。

そう言えばちょうど昨日、小学2年生の娘が嬉しそうに話してくれた。「クラスの幽霊が見えるお友達」に言われたのだそうだ。

「〇〇ちゃんのママ、〇〇ちゃんの後ろで見守ってるよ!」

2年生の子供同士でそんな話をするのかと少し驚いた。まさか本当に見えているとは思わないが、妻の霊が近くにいてくれたのなら嬉しい。

自然に考えれば、僕が寝ている間に妻のことを思い出して、行動をなぞるようにベッドを蹴ったが、寝ているときの思考はまとまりがないので、おかしな悪夢に変換されてしまったというところだろう。同じ夢なら妻が登場してくれてもいいのに、そうでなかったところが、夢らしい不合理さだ。

霊というのは、現実に起きたちょっと不思議なことに、故人のことを関連付けるように何とか意味付けして、形作っているものかも知れない。

本当に霊がいるのかどうかはともかく、僕が妻の記憶に強く影響されていることは確かだろう。その作用を霊と呼んでも差し支えないように思う。

介護で苦労したのはついこの間のことなのに、不思議と、ほとんど思い出さない。喉元過ぎれば熱さを忘れるように、苦労した記憶はあっという間に薄れてしまった。

思い出すのは幸せだった日のことばかり。介護がなくなって楽になったなどとはほとんど思わず、幸せな日が2度と戻らないことがただ悲しい。こんな風に思うのも妻の霊のせいだろうか。