昨晩、同じマンションの方が花を持って来てくださった。
これまで一度も話したことがない方だったので驚いた。

エレベーターホールに妻が亡くなったことを掲示しており、それを見て来てくださったそうだ。

ALSという病気でした、訪問看護などがしばしば来ていましたが、目に付きましたか?と聞いた。車椅子で出掛けられているのを見て、どうされたのかなと思っていましたと答えられた。

マスクをしていたのでよく分からなかったが、僕よりずっと若く、40代前半くらいに見える女性だった。

「実は私もこのマンションで、子供が1歳のとき、主人を亡くしたんです。」

女性は、そう言われた。1歳?そんな!?
それから子供さんを一人で育て、今は大学生になったそうだ。

めまいのようなものを感じた。それはお大変でしたね、お辛かったですね、尊敬します、素晴らしいです、などと答えた。

交通事故だったそうだ。
わが家は、病気で時間をかけて失って行ったが、朝、行ってらっしゃいを言って、そのまま亡くなられたそうで、その気持ちは僕には想像もできない。

「悲しみはずっと続きますけど、しまっておけるようになりますよ、時間の経過しかありませんよね。」

女性はそう言った。

当たり前の幸せが、当たり前でなくなるときがある。多くの人は、当たり前を享受できるのに、それを無残に奪われる。不合理だと叫んでも何も変わらない。取り引きする余地もない。酷い剥奪を、ただ時間で薄めるしかない。

「しまっておける」とは、どういうことなのだろうか。
そのうち分かるようになるのだろうか。
僕に、女性と同じように言える日が来るのだろうか。