病院で先生から、あれこれ説明されたように思いますが、よく覚えていません。痰で呼吸ができなくなったのか、呼吸筋が疲労してしまったのか、みたいな内容だったと思います。

午後5時8分に電話で緊急の連絡がありました。
その時、既に、
「呼吸が止まったりしており‥」
という言い方をされていました。
「たりしており」って何だよと思いました。

「20分くらいで来られますか?」と聞かれ、
「20分から30分です」と答えたら、ああそれでは間に合わないという反応でした。

朝、呼び出しの電話がかかったときには、その5分後にすぐ、回復しましたという電話がきました。

しかし今度は、その回復の知らせがきません。病院に着いたのは20数分後。

病室の扉は閉められており、駈け入ってモニターをみると脈拍0になっていました。僕と娘の2人で、既に亡くなった妻の頬に触れました。まだそれ程冷たくありませんでした。

先生は、電話をして10分後くらいには心臓が止まったと言われました。

その日、3時から6時までが面会時間で、りこのお父さんやお姉さん、姪っ子も連れて見舞いに行き代わる代わる病室に入り、3時から4時少し前まで過ごしました。

4時頃から、りこのお姉さんと姪っ子を30分程離れた駅に送って行き、帰りにイオンに寄り、買い物をしようとしたところで電話を受けました。

あと1時間遅く面会していれば、あと10分早く病院に着けば、あるいは看取れたのかも知れません。すれ違ったようにも思います。でも、看取るとなると、その辛さもきっとありますよね。

最期はさほど苦しまなかったと聞きました。穏やかそうな顔に見えました。

お疲れ様、りこ。苦しかったね。最後まで全く弱音を吐かなかったし、無理を言って困らされることも一度もなかった。りこは本当に立派だ。

最後にもう1週間、優しくしたかった。トイレ介助するとき、後ろからちょっと抱きしめたりするのは、わずかな楽しみだった。
早くバイパップが取れないと抱きしめられないなと思っていた。ショートステイ中に、優しくできるエネルギーを貯めておいたのに使いきれなかったよ。

りこと過ごした17年間は、僕の人生の最大最高の輝きでした。
ありがとう、りこ。