今日の午後4時過ぎ、妻が帰って来た。

フラフラの身体の妻を久しぶりに見て、ホッとした一方で、ああこれが今の妻だったなと現実に引き戻された気がした。妻がいなかったこの10日間、昔の写真を見て想い出に浸っていたので、現在の妻との間に当たり前だがギャップがある。しかしそんなことを思ったのは一瞬で、入所前と変わった様子がなさそうなのに安心した。

施設の送迎の車は車高が高く、マンション駐車場の天井をくぐれない。そのため、道の対面にある公園の駐車場に一時停車して車椅子を降ろし、道を横断して自宅に連れてくる形になった。

2年前、ALSと診断された直後の妻は、顔や手が痩せてはいたが、一見して病人には全く見えなかった。しかし今の姿は、残念ながら誰が見ても病人だ。普段、ほとんど外出しない妻が、まだ人通りのある公園付近を、車椅子に乗って進む。数十メートルの距離だが、振り返って見る人もいて、少し胸が痛んだ。

家にたどり着き、リビングの定位置のソファに座らせた途端、妻はボロボロと泣いた。

「辛かった?早く帰りたかった?」

と聞いても、うなずいているのかどうなのかよく分からない。

「もう行かせないからね、ずっと家にいようね」

そう言ってもやはり反応しない。最近は大体こんな風で、嫌なときや否定するときは、しっかり首を振るが、肯定の場合のうなずきをなかなかしっかりしてくれなくなった。うなずくことができないのか、聞き流しているのか、よく分からない。その後いくつか重ねて問いかけてみたが、泣きつづけるばかりで意思表示らしいものはなかった。しかし様子からみて明らかに、施設は辛かったようで、帰って来たことが嬉しいらしい。

本当は娘と再会をさせてあげたかったところだが、今日と明日は、連休最後の楽しみで、僕の実家の母のところにあずけて遊んでもらっている。娘は、明日の午前中に帰って来るよと妻に話したら、これだけはコクリとうなずいた。

10日間、寝てばかりいて歩けなくなっていないかなどと心配したが、その点は杞憂で、支えて歩けばいつものようにトイレに連れて行くことができた。

久しぶりに痰吸引をして、口の中を見てみると、痰のカスがドロドロに溜まっていた。口を開けづらくなってしまった妻の口腔ケアをするのは至難の技で、僕もしょっちゅう指を噛まれているので、これを綺麗にするのはなかなか難しいと思う。

施設では、特にスマホ操作が出来なくて悲しかった様子で、You Tubeを開いて、ミッシェル・ガン・エレファントのライブ動画を流してあげると、足をバタバタさせて喜んだ。

タオルを変えたり、トイレを手伝ったり、胃ろうをしたりと、いつものように介護をしている間に、午後7時には訪問医が来て下さって、23クール目のラジカット点滴、初日が開始された。

点滴を終えるともう寝たいと言うので、九時前にはベッドに寝かし付けた。今夜は少しはゆっくり寝てくれるだろうか。

施設にいる間のケアの様子が全く分からず、不安に思っていたのだが、今日、施設の方がケアの記録のコピーを初めて渡してくださった。


夜中、寝付きもせずに、ベッドから足をおろしてそのままずり落ちてしまったり、壁をドンドン蹴ったりと、家にいるのと同じようなことをしていたようだ。丁寧に見ていて細かく対応してくださった様子がうかがわれた。

できればこの記録を、毎日でなく2日に一度でもいいからこちらに渡してくれていれば、安心し、あるいはそれを基に問い掛けたりお願いしたりすることも出来たのだが。

前の記事に不安ばかりを書いたが、そこまで心配する必要はなかったのかも知れない。

とはいえ妻は辛かったようだ。僕も10日間ずっと胸のモヤモヤが続いていたが、ようやくそれがなくなった。

訪問医の先生が、2回目以降はもっと楽になるから、月に一度くらいあずけられてはと言われたが、「いやいや」としか言えなかった。

10日間が無事終わってホッとした。