呼吸苦を避けるために、人工呼吸器装着を選択する例が、実は最多であるという話は、ショックでした。

多くの方が、命を保ち、したいこと、見たいこと、関わりたいことがあって、そのために選択するのだろうと、漠然と思っていたのですが、しかし言われてみると確かにそういうものかも知れないとあれこれ考えさせられました。

罹患前の自己イメージと、現実の自己とのギャップが悩みの原因で、時間をかけてアジャストに成功することで、それを受け入れて行くという説明は、とても明快だと思います。

ところでこれは、ごく個人的な意見で不快に思われる方もいるかも知れませんが「尊厳死」という言葉は、いわゆる延命治療を受けなかった方に対して周囲が名付けた、やや後付け的な呼び方ではないかなという気がしています。

もしかすると、本人は絶望して気力を失い、延命を望まなかっただけなのかも知れない。しかし周囲の人間は、あの人は「尊厳を選んだ」と意味づけようとする。そういう場合も含まれているのではないかという気がします。

そうして、尊厳と意味づけること自体は決して悪いことではないのですが、気になるのは「尊厳死」と「延命治療」が対義語のように扱われていることへの違和感です。

延命治療を選んだ方のことを、尊厳を失っているなどと決して言っては行けないわけで、延命した上での死も、本来「尊厳死」の一つとして意味づけすべきように思うのです。

何が言いたいかというと、治療法の選択一つで、尊厳が左右されるものではない、あらゆる選択はその人にとって尊厳を守る行動であるはずだ、ということです。

書いてみたけど、だからどうしたって感じですね。どうもしません。コメントになりませんでした、すいませんイージーさん。