イージーさんの思索に触れると、絡まっていたものが解きほぐされる気持ちになります。とても意義深い記事なのでリブログさせていただきます。

安楽死問題の最初のハードルは、イージーさんが書かれたとおり、すり替え、蓋をして議論を避けるということでしょうね。

例えば神経難病患者を一定数無作為に抽出して、死について、生をはばむものについて、アンケートを取るなりの方法で傾向把握が出来ればと考えます。

結果を分類し、介護制度などを含めて社会の仕組みの不備に問題を感じている人、家庭など生活環境に問題を感じている人、金銭面の問題を感じている人、自身の感情制御に問題を感じている人…と区分していき、それぞれを区別した上で、対処を考えるのが、やはり合理的ではないかと思います。
難病患者を一くくりにして、単純な解に結びつけて議論を避けようとする現状は、やはりやや乱暴で、そこに不満を感じる人も多いのではないか。イージーさんが挙げておられるとおり、反論となる、しかも説得力のある意見が多数ありすぎます。

論点を絞り込んで出来るだけ細やかな議論を。そうしたときに安楽死についての議論が本当に不要と言い切れるのか、やはりそこに踏み込まねば、一定数の方の気持ちを救えないのではないか、物忌みのように安楽死の議論を避けるのでなく、その入口の話し合いくらいは出来るはずと思います。

イージーさん、なんかいまいちコメントずれたような気がしますがすいません。