今日の午後、重度訪問介護の認定調査を受ける予定だ。
表も文も、それぞれ4ページ、計8ページになった。手間をかければ認定してもらえるわけでもないが、なかなか言葉では伝わらないので、書面にまとめた方が良いだろう。
ただ、こうして手続きに時間をかければかけるほど、精神面が削られるのも確かだ。
仮に、重度訪問介護の認定が良い形で進んでも、妻が治るわけではない。この先も希望のない日々が果てもなく続く。こんなことに手間をかける意味があるのだろうか。そんな思いに襲われる。
正確に言うと、メモを取ってパソコンでまとめている間は、その作業に没頭しているので、それほど悩まないのだが、まとめ上げた後で虚無感に襲われるという感じだ。
月曜日に、表と文を一式、ケアマネに送った。
昼間の介護は徐々に、身体的な負荷が大きくなってきたので、これからも高齢の義母に任せるのは難しい。夕方から朝までの介護は、僕一人でおこなっているが、小学2年生の娘の世話と重なって非常に厳しい。昼間、夜間とも重度訪問介護のヘルパーを導入していきたいとあらためて伝えた。
するとケアマネから返事があって、特に昼間は難しいのではないかという。昼間は、訪問看護、リハビリ、訪問入浴など、現在も色々な訪問サービスを導入している。それらと重度訪問介護が同時に入ってはいけない原則になる、要するに、同じ時間帯に複数のサービスを同時に使うのは難しいのではないかという話だった。
この件に関しては、何人ものブロ友さんからアドバイスをいただいて、そんなことはないと聞いた。ケアマネにも折り返し説明しておいた。問題は、ケアマネさんに分かってもらうことでなく、市の担当に伝わるかどうかだ。
そして、そんなやり取りをしていると、ますます精神面が削られてきて、もうどうでもいいかなと思えてくる。
頑張って認めてもらえた頃には、妻の病状がさらに進んでどうなっているかわからないし、ハッキリ言えば命の保証もない。
重度訪問介護の認定を受ければ全て解決ではなく、そもそも受け手となってくれる介護事業所が少ないし、相性のいいヘルパーさんを探せるかどうかも保証がない。
そうしてそれらを乗り越えても、やっぱり妻が治るわけではないのだ。
先を考えてしまうと希望を削がれるので、今出来ることに集中しようとする。集中している間は一瞬気がそれるが、そのうちにまた先を考えてしまって虚しくなる。そんなことの繰り返しだ。
どうせ悩むのなら、悩むべきところで悩みたい。自分は手間をかけて何をしているんだろうなどと考えるのは最も虚しい。
午後の認定調査、どうなることか。