妻は今のところ、少しなら自分1人で歩くことができる。ヨタヨタとおぼつかないので、常に付き添って身体を支えてはいるが、基本的に自力で歩く感じだ。

しかし、夜にトイレに起きたときは、そうは行かない。睡眠薬でフラフラに脱力して、まともに立つこともできなくなっているからだ。それでも、後ろから両脇に手を入れて体重の半分くらいを持ち上げ、操り人形のように左右の足を交互に前に出させれば、何とかトイレまで連れて行くことができた。ここ一ヶ月、そんな風にして過ごして来たのだが、3日前の水曜日の夜、ついにその支え方でも歩かせることが出来なくなってしまった。

やむを得ず、後ろから羽交い締めにして、つま先が床から浮くまで持ち上げ、そのまま僕の足で歩いてトイレに向かった。しかし、40数kgの体重を一気に数メートル運ぶのはさすがに無理がある。廊下の途中で、浮いたつま先を一旦下ろそうとしたところ、足先が床に付いた途端に膝が折れ、妻はそのままペタンと座り込んでしまった。

僕は、床に落ちていく妻の体重で左手を少し痛めたが、そのまま座らせていたら廊下を汚してしまうと焦り、座り込んだ妻をもう一度羽交い締めにして持ち上げ、勢いをつけて放り込むように便座に座らせた。

便座に座らせたまま、ズボンと下着を引き抜くように下ろし、何とか用を足すのに間に合った。もともと尿とりパッドを付けていたので、考えてみれば廊下を汚すことはなかったのかも知れないが。

朝になり、睡眠薬が抜けてしまえば、今までどおり自力で歩くことができる。しかし、夜間のトイレ介助はその日以来、格段に厳しくなった。だいたい一晩に、2〜3回はそんなトイレ介助が必要で、都度、羽交い締めで持ち上げていたら僕の身体が持たない。やむを得ず、数メートルの距離を車椅子で運ぶことにした。

しかし車椅子を使うのはそれはそれで大変で、呼ばれるとすぐに飛び起きて、隣に敷いている僕の布団をどけて道を作り、車椅子をベッドに寄せて移乗させねばならないし、何より困るのは、広くもないマンションのわが家は、廊下がこのくらい狭いのだ。


トイレの扉を先に開けておかなければ車椅子を寄せることもできないし、先に車椅子を寄せてしまうと、今度は横を通って前に出ることもできない。まず自分が前に回り、扉を開けておいて、車椅子を引き寄せるしか方法がないのだが、それらをスムーズにやり終えねば用足しに間に合わなくなってしまう。

「オムツはどう?」
「ポータブルトイレは?」

聞いてみたが、やはりどちらも嫌がる妻。仕方ない、しばらくは車椅子で頑張ろう。

ちなみに妻には、睡眠薬と安定剤を数種類合わせて投与している。量が多いと心配なので、少しずつ減らしてみたが、どれ1つを減らしても途端に眠らなくなってしまうので、なかなか減薬できない。睡眠薬を入れずに寝てくれれば、おそらく当面の問題は解決するのだが。

睡眠薬の件を訪問医の先生に話し、

「先生も本当は、睡眠薬や安定剤を勧めませんよね?」

と聞いてみたら、

「医者の倫理観だけを押し付けるのは最善ではないと思います。」

と言ってくださった。
筋肉を弛緩させる睡眠薬や安定剤は、ALS患者には決して良くない。しかし、妻に寝てもらわないと僕も眠れない。
睡眠を取るか筋肉を取るか、厳しい二択である。