午前1時少し前、目を覚ましてしまった妻をトイレに連れて行った。

ベッドの中でモゾモゾと動きながら、うーん、うーんと唸るので、「トイレ?」と尋ねると、違うと横に首を振る。

トイレでないなら寝直すかと思い、僕ももう一度布団に入るが、5分経っても10分経っても、妻は相変わらず、うーん、うーんと唸り続け、大人しくなる様子がない。

「トイレ?」と聞き直しても、また首を横に振る。3度、4度聞き返して、ようやくうなずいた。

おそらくはじめからトイレに行きたかったのだと思うが、睡眠薬で朦朧としているので、返答が曖昧になってしまう。夜は大体こんな感じだ。

脇の下から手を入れて、半分くらい身体を持ち上げるようにしてなんとか立たせ、ヨタヨタと歩かせてトイレに連れて行く。

用を足したら、再びベッドに寝かせるが、相変わらず、うーん、うーんと唸って寝付こうとしない。

「何かして欲しいの?」と聞くと、コクリとうなずくが、何をして欲しいか話して伝えることはできない。

身体の位置を直したり、布団をかけ直したり、バイパップのマスクの位置を直したり、思いつくことをしてみるが、当たっているのか外れているのか、確かめようもなく分からない。

妻はその後も相変わらず、うーん、うーんと唸っていたが、20分くらいして静かになった。寝入ったようだ。

しかし今度は僕が眠れなくなってしまった。

夜は心が騒ぐ。過去のことを次々と思い出して、胸が締め付けられる気分になった。

まだALSのことなど夢にも疑っていなかった、2年前の春。家族3人で花見に出掛けた時のこと。

2年前の秋、にわかにALSの疑いが降って湧き、それを振り切りたくて遠出をしたり、買い物に出掛けたりした時のこと。

2年前の10月、最悪の診断が下った日のこと。その夜、何も知らない娘が、いつものように遊びをせがんで来て、無理矢理テンションを上げて、上の空で相手をしたこと。ちょうどビデオカメラで撮影するのがブームで、泣きたい気持ちを隠して娘の撮影をした、あの夜のこと。

11月の入院。
お風邪で声がガラガラだね、と言っていた娘のこと。病院のベッドが珍しくて、寝ている妻の隣に滑り込んで、寝転がった娘のこと。
妻の友人がケーキを持って見舞いに来てくれ、あの時は談話室でケーキを食べることもできた妻。

年が明けて翌年2月のはじめ、娘が交通事故に遭ったときのこと。携帯で電話してきた妻が、聞き取りにくい声で「娘が車にはねられた」と言い、聞き取れるか聞き取れないか、ギリギリの呂律だったが、その時はなんとか聞き取ることができたこと。
それから2ヶ月くらいは、単語の発語程度はできただろうか。どんどん聞き取り辛くなり、夏までには言葉でのコミュニケーションは不可能になったと思う。

その頃から、食べられるものが限られてきて、飲み込みやすいウニを盛んに食べたがり、高いウニを、家が傾くくらい大量に買ったこと。
昨年の春から夏のことで、ちょうど一年前に撮った写真が残っていた。昨年7月の写真だ。


昨年の秋、小学一年生だった娘の、学校の運動会になんとか妻を連れて行ったこと。車椅子に座らせていたが、途中で痰が絡んで苦しくなり、車に連れて行って吸引した。

今年、ちょうど一昨日、コロナ禍の休校の影響で運動会を中止にすると学校から連絡があった。
正直、運動会があったら、今年はとても妻を連れていけないし、かといって妻を家に残して、娘の応援に行くことも出来ないし、中止で助かったところだ。

昨年の11月、「すみっコぐらし」の映画が観たいと言って、家族3人で出掛けたこと。座席まで、階段を上がらねばならず、何とか支えて連れて行ったこと。
今年はもう、映画は無理だろう。夫婦でずっと観てきたエヴァも、今年上映があったとしても無理だろうと思う。

ALSになる前の楽しい想い出でなく、ALSになってから、失っていく過程を順に想い出すことがしばしばある。

あの時は、あれが出来たけど今はダメ。あの時は、あれをした、あの時は、あの時は。

何故、順に病気の過程を思い出すのか、答えは簡単で、症状の進行を思い出して、そこから速度を予想し、この先の喪失の、心の準備をしなければならないからだ。

進行する病気に関わると、そういう習慣がついてしまう。

心が騒ぐ夜だが、あの時は、トイレに歩いて連れて行くことが出来たなと、遠くない、ほんの少し先の未来に思い返すのだろうと予想する。

外れて欲しい予想。おそらく外れない予想。
心が騒ぐ夜。