一昨日のこと。

夕方6時過ぎ、帰宅して玄関の扉を開けると、吸引器の音がした。あわててリビングに入ると、義母が妻の痰吸引をしているところだった。

「昼過ぎからずっとこんな感じでね」

義母は疲れ果てたように言った。

「大変でしたね、すいません、代わります。」

そう言って義母から吸引器のカテーテルを受け取り、クールビズの格好のまま、痰吸引をはじめた。

困った。

本当は帰宅後すぐに着替えて、薬局に薬を受け取りに向かうつもりだったのに、妻がこの様子ではとても出掛けられない。訪問医の先生に頼んで睡眠薬を処方してもらったので、何とか取りに行って、今夜から使いたいのだが。

「お義母さん、本当に申し訳ないんですけど、薬局でクスリをもらってきてくれませんか?僕は、痰を取ってますので。」

「ああ、いいよいいよ、そうだ、〇〇ちゃん(娘)も一緒に行こう!」

お義母さんは、快く、というより解放されたような表情で、娘を連れて薬局に出掛けてくれた。

普通であれば、薬局へのお使いなど義母には頼みにくいし、頼まれた方もここまで快諾してはくれないと思う。

快く出掛けてくれたのは、端的に言って、介護に疲れていたため、義母としてもこの場を離れて気分を変えたかったのだと思う。

数十分後、帰ってきた義母は、娘に菓子を買い与えるなどして、のんびりと用事を済ませたと言った。義母が戻るまでには、痰吸引もうまく行って、妻の状態はずいぶん回復していた。

「お義母さん、昼間の世話、本当にありがとうございました。あとは任せてください。」

そう言って義母には自宅に帰ってもらった。

ところが、その後も妻は、夜中まで何度も調子を崩した。痰の絡みは、妻が床に就くまでに、2度程ピークがあった。鼻からの吸引で何とかなったが、2度ともそれなりに時間がかかった。

また、最近の悩みである、妻の寝付きの悪さへの対処で処方してもらった、睡眠導入剤のレンドルミンを使ってみたのだが、熟睡はできていないようだった。最初は、寝入ったが、1〜2時間で目覚めてしまい、夜中まで、何度もチャイムで僕を呼んだ。9時半、10時、10時半、少し間を置いて、午前2時、2時20分、2時50分‥という感じだった。

訪問医の先生が、少しなら安定剤を併用しても大丈夫と言われていたので、午前3時頃、デパス0.5mgを胃ろうから入れた。デパスには筋弛緩作用があり、本当は使いたくなかったのだが、効き目は明らかで、その後朝5時まで僕も寝ることができた。

妻の眠りがよくない原因のひとつは、最近、頻繁に昼寝をしていることにある。痰が絡んで疲れた後には、義母が積極的に妻を寝かせているようだ。

つまり。

僕も義母も、妻が起きている方が介護の負担が大きいので、常に寝かせよう寝かせようとしているのだ。

昼間は昼寝させ、夜は睡眠薬で寝かせてしまおうとしている。

これでいいのだろうか?

実際、そうせざるを得ないのだが、これからさらに調子が悪くなったら、昼も夜も寝かしつけておくことになりはしないか、心配になった。

妻とはもう一年以上前から、会話による意思疎通は出来なくなっている。それでも半年前は、LINEをやりとりして話すことができた。最近はそれもなくなって、会話は、介護のための要件確認が主になった。

痰?
トイレ?
薬が欲しい?
寝たい?
タオルを変える?
下痢?
着替えたい?

尋ねて、了解の合図にうなずくやり取りが、妻との会話の9割だ。しかし、まだそれでも、多少の会話は残っている。

娘の様子を話し、かわいいねと言うと、コクリとうなずく。
昔、あんなことがあったね、覚えてる?ときくと、コクリとうなずく。あの頃は楽しかったねと言うと、コクリとうなずく。

そのくらいの会話はある。
しかしそれらのわずかな会話も、トイレ介助と痰吸引の忙しさに塗り込められるようにして日々少なくなり、出来るだけ多くの時間、妻を寝かせて介護負担がやわらぐようにしはじめている。僕も義母もいつの間にかそうなってしまった。

ずっと昔、2003年に妻と知り合った。話すのが楽しくて、一緒にいると幸せで、翌年には同居するようになり、間もなく結婚した。

一緒にいたくて家族になったのに、眠らせておこうとしているのは一体どうなのだろう。

一昨日、あまりに眠りが良くなかったため、昨日も、今夜も、寝入りに、レンドルミンとデパスを合わせて胃ろうに入れている。

夜中に1、2度目を覚ますものの、負担はずいぶん和らいだ。本人も薬を入れてほしいと言ってはいるが。

今夜も朝まで眠ってほしいと祈りながら、気持ちに引っかかりも残っている。