この4月に人事異動があり、同じ事務所に勤めることになった先輩がいる。 

その方は僕より3つ年上で、平成のはじめ頃からずっと交流があり、もともと親しくしていただいていた。 僕の職場は、定期的に人事異動があるので、勤務地はなかなか一緒にならないが、今年度、久しぶりに一緒になったという感じだ。 

その先輩の奥様が、最近、難病と診断されたという。 

聞いて驚いたが、まだ職場にも伏せており、話したのは僕で二人目というから、知らなかったのも当然だ。

奥様の病気は「肝肺症候群」といい、かなり稀な病気らしい。

ネットで調べると、肝臓の病気が原因になって、肺の毛細血管が拡張してしまう病気らしい。すると、呼吸自体は問題なくできるのに、肺胞を通過する血液量が増えるために、結果的に、血液への酸素の受け渡しが上手くできなくなり、低酸素血症になってしまう。つまり、呼吸をしてもしても、酸素が血液に行き渡らず不足してしまうということらしい。 

奥様は今、常時、高濃度の酸素を吸って生活しているそうだ。出掛ける時ももちろんだし、家の中でも、10mくらい伸びる酸素のホースを引っ張ってトイレに行ったりしているらしい。

身の回りのことは自分でできるし、会話なども問題ないそうなのだが、治療法は肝臓移植くらいしかなく、病状が進行すると、いかに高濃度の酸素を送っても低酸素状態が解消できなくなる恐れがあるという。命に関わるらしい。 

職場で立ち入った話はできないため、たまたま二人になったときに数分話した程度なのだが、家事全般、先輩がこなさねばならず、その点は僕とも共通している。

先輩は、僕の妻のことは以前から知っていて、これまでも時々気遣ってくださっていたが、最近、そういう診断がくだったので、うちもこんな感じなんだよと打ち明けて下さった。

稀な病気って本当に辛いですよね、分かって貰いづらいし、孤独感あるし、何でそんな!って思いにさいなまれるし、そうそうそう、などと話し合った。 

誤解を招くと思うが、身近にこういう話をきくと、心配や心痛とともに、共感のような感情が大きく湧き上がってしまう。

不純な気持ちを抑え込んで、心配、心痛に集中すべきところだが、湧き上がる気持ちはなかなか無視できない。

その話をしてから、朝先輩と挨拶を交わすとき、  

「おはようございます、いつもご苦労さま」 
「そっちもご苦労さまだね」

みたいな会話の「ご苦労さま」に、言外の意味が乗っかるようになった。

僕も心から「ご苦労さま」と言っているし、先輩も気遣ってくださるのが伝わってくる。

もちろん先輩の奥様を心配しているつもりだが、同時にそういう意味の「共感」も持ってしまうのだ。

 稀な難病に関わった者には、特有の孤独感のようなものがあるように思う。世間の人と少し離れたところで理解者の少ない悩みを持つような感覚だ。僕は、その孤独感を紛らすためにブログなどもしているのだが、今回、先輩にもそのあたりを紛らせていただいたように思う。 

こういう紛らせ方を良しとしていいか迷うところがあり、不快に思われる方がいたらごめんなさいと思いつつ、この記事を書いてみた。いかんせんそのあたり未整理な感情なのでどうにもまとまらず、本当に不快に思われたらごめんなさい。

難病がなくなりますように。 
共感など求めなくてもよくなりますように。