ALSに関わってから、一年が過ぎた。

昨年の9月9日の夜、驚くほど話しづらそうにしている妻の様子を見て、急遽仕事を休むことにした。

翌日の9月10日、妻に付き添って病院に出掛け、ALSの疑いが現実的になった。このあたりのことは、このブログの最初にも書いている。

あの晩、文字通り一睡もできなかった。

その次の日は、部下を連れて外回りをする予定があり、睡眠ゼロで出勤した。

何かが沸き上がってきて胸が苦しいという感覚が、比喩でなく現実にあることを初めて知った。

その日一日、なんども深呼吸して気持ちを整えようとした。身体の中から沸き上がる圧力を吹き出させるように「あー」とか「んー」
とか時々声を出した。

あの日に出向いた先のこと、道々思ったことなど今も鮮明に覚えている。

あれから一年。

妻は、上肢、下肢、会話、嚥下、呼吸などの様々な症状に悩んでいる。

最近も色々なことがあった。

ここ数週間で、急激に食事量が落ちて、胃ろうの注入が増えた。

わずかに出来ていた車の運転が難しくなった。

いずれも詳しく書くと長くなる。

僕はこれと言って何もできないし、常に妻を優しくいたわることすら出来ていない。

昨年の9月8日、ALSの疑いを持つ直前に、娘の幼稚園のバザーに出掛けた。

「三びきのやぎのがらがらどん」という知ってる人は知っている、色々な意味で面白い絵本を買って、家族3人でげらげら笑った。

その少し前、9月4日に台風が接近して、電車が止まり、僕は4km程の距離を歩いて帰宅した。

翌日職場で、ちゃんと帰れたか、家族は迎えに来てくれたかという話になった。

僕が「歩いて帰るよ」とLINEを打ったら、
妻が秒速で「気をつけてね」と返してくれたと話したら、少しウケた。

人前で妻を少し落として話題にしたのは、これが最後になったように思う。以後一年、そういう話し方は、していない。

一昨日、訪問診療の先生に、胃ろう造設から半年経つので、交換するよう手配することと、カフアシスト導入を手配することをお願いした。

1年。

発症時期は定かではないが、不調を訴えてから2年半から3年くらいになるだろうか。

妻のALSの進行は、極端に速くはなく、むしろ遅い方だと僕は思っている。

しかし何を原動力にしているのか知らないが、休むことなく進もうとしているようだ。

その力を、何か他のことに向けてくれればいいのに。この辺でそろそろ180度向きを変えて、回復に向かってくれてはどうか。

妻も、ずいぶん長く頑張っているのだから、病気にもそこのところを分かって欲しい。