昨日は仕事を休み、人間ドックの受診に出掛けた。

年齢は50歳。多少の不調はあって当然で、なければ不自然と言える。

しかし問題は体重だ。僕はかなり太っている。

実は昨年9月、妻のALSの疑いが濃厚になった頃から食欲が落ち、その後1ヶ月ちょっとで10kg以上、体重が減った。

不思議なもので、太っていると痩せろ痩せろと言われるが、急に痩せるとそれはそれで良くない、心配だと言われるものだ。

その頃どうにも食欲がなかった僕は、いちいち受け答えするのが面倒で、

「デブはデブのまま餓死することはありません」

と言って話を誤魔化した。

正しいかどうか知らないが、デブはまず痩せるだけ痩せて、これ以上痩せないところまで痩せてから餓死するのだろうと思う。多分。普通に考えて、太ったままの餓死はあり得ないだろう。

水は飲まないといけないだろうが、そういう意味で蓄積した脂肪は、余力になるはずだ。

10kg減量すると血圧も劇的によくなって心配要素はむしろ減り、すこぶる快調と言えた。心配御無用である。

ところが「痩せる心配」という一種、贅沢な悩みは全く長く続かなかった。年末前後から食欲がもどり、あれよと言う間に再び体重が増え始めた。

そうして昨日、人間ドックの日を迎え、医師に言われた。

「昨年より1kgほど増えてますね」

医師は、途中を知らない。昨年の体重がそのまま維持され、微増したと思っており、それは事実と大きく異なっている。

「いや実は違うんです」と言いかけて、言葉を飲み込んだ。

僕の亡くなった父が大変なパチンコ好きで、子供だった頃、しばしば聞かされた言い訳がある。

「最後は負けたけど、途中は勝ってたんだ。」

子供心に、なんて無意味な言い訳だろうと思った。そんな言い訳をする父を軽蔑し、自分は絶対にギャンブルにハマるまいと心掛けたものだ。それを守って今に至っている僕は、だから、

「今は太ってますが、昨年は痩せてました」

このような無意味な言い訳はしないのである。

「少し減量してはどうですか?」

と医師に言われ、

「はい、一度頑張ってみます。」

と答え、診察を終えた。


どうも違う。
もともとこんなことを書きたくて人間ドックの話題に触れたのではないが、全く話がそれてしまった。

10年程前から、毎年妻と一緒に受けていた人間ドックを、今年は一人で受けたという話をしたかったのだ。

妻は、昨年の今頃は、不調はあったもののまさかALSとは思っておらず、二人で一緒に受診した。

人間ドックを二人で受けに行くと、 同時に検査をはじめても、すぐにバラバラになってしまう。

待ち人数の少ない検査へと順に案内されるからなのだが、やがていくつか検査を受けている間に、待ち合い席でまた一緒になったりする。

「○○の検査、どうだった?」

とその度に話すのが、僕はちょっと楽しかった。

また、各待ち合い席に大画面のテレビがあるので、普段見る機会の少ない朝のワイドショーを見るともなく見て、待ち合い席で一緒になったとき、

「○○のニュース見た?」

と話すのも好きだった。

昨日は、政見放送をしており、例の少し変わった政党が耳を疑うような演説をしているのを聞いた。チャンネルは変えられないし、見たくなくても見てしまう。

ああ、妻と待ち合いで語り合いながら受診したかったのにと思った。

昨年の受診で妻は、左手の握力が下がったと言っていたが、それ以上の指摘は何もなく、病気に気づくこともなく受診を終えた。

幼稚園のお迎えに間に合うようあわただしく帰ったのを思い出す。

あれから一年の間の激動を思い、自分の体重の無意味な激動を思い出し、僕が健康でなければ困るのだから、やはり減量せねばと思った1日だった。