七夕を1日過ぎてしまったが、願い事みたいなことを書いてみようと思う。

僕はこれまでに何度か、確率的にかなり希少な体験をしている、と自分では思っている。

最初は19歳の時。これまでの人生で何度か精神的に辛かった時期があるが、19歳の頃は、かなりどん底だった。

その頃の僕は実家に住んでいて、80km程離れた名古屋の学校に通っていた。
自宅から遠く離れたその学校で親しくなった友人がおり、話してみると意外に自宅が近いことが分かった。

同じ市内だね、偶然だね、何町?え、隣町じゃない!?という話しになった。

自宅を行き来してみると、自転車でわずか15分の距離だった。80km離れた場所で知り合った近所の友人という事実に2人して驚いた。

本来、小学校や中学校の同級生でもおかしくなかったが、彼は高校生になってからその町に引っ越してきたのだそうで、それが接点がなかった理由だった。

その彼とは、20歳過ぎから10年近く一緒のアパートに住み、ほぼ同居生活のように過ごした。僕の人生に最も影響を与えてくれた友人だ。故あって30歳過ぎに縁が途絶えてしまったが、何度も何度も出会いが幸運だったねと語り合った。

その後、僕は32歳から34歳の頃、再びどん底の時期に沈み込んだ。何人もの人間関係の喪失があって、上に書いた彼とも縁が途絶えてしまった。もう自分も終わりかなと思った時期だった。

その頃、趣味を共通点にして知り合った妻が、またしても出身市が同じだった。なんだろうこの偶然はと驚いた。

妻の実家と僕の実家は、同じ市内ながら、自転車で20~30分ほどの距離があり、僕の家は市の端で、妻の家は市の中心付近だった。

僕が小学生だった頃、田舎だったその市には、本屋が数える程しかなかった。本好きだった僕は、市の中心にある本屋まで自転車をこいでよく出掛けていた。

そのうちの一つの本屋が、いつ行っても立ち読み客がすごく、というか、立ち読みでなく座り込んで自宅のようにくつろいで本を読んでいる女の子が何人かいて、子供心にすごい店だなと印象に残っていた。

妻にその話をすると、ああ、その本屋、近所だから毎日通って朝から夕方までいたよ、という話しになった。

無論顔を覚えているはずもないが、あのとき座り込んでいた女の子のうちの一人が妻であった可能性はかなり高い。まさか結婚することになるとは思わず、顔を合わせていたのかも知れない。

また、20代の頃に僕が住んでいた名古屋のアパートのかなり近所に、妻が仕事で勤めていた。よく行く本屋などが同じで、行動範囲がかなり重なっていたようだ。

確率的にかなり低そうな2つの出会いを体験してから、僕は心のどこかで自分の強運を信じるようになった。

辛いなと思った時期が続いたあと急に道が開けるように幸運に恵まれたのも共通している。守護霊が守ってくれているのかもしれないなどと思った。

妻がALSと診断されたとき、運のいい自分にこんなことが降りかかるはずがないとかなり本気で思った。

実は今も、これといった根拠はないが、しばらく苦しい時期があったとしてもやがて幸運がめぐってくるのではないかと思える気持ちがある。

例えばもうしばらくのうちに、トフェルセンが妻の病気を劇的に治してくれるとか。

昨日、七夕の短冊が欲しいと娘が急に言い出し、あわててホームセンターに買いに行った。

妻の病気が治るように、家族3人で短冊に書いた。

笹の葉が用意できなかったので、娘が育てている、朝顔の鉢のツルを受ける支柱に短冊を吊るした。

それぞれあと1枚ずつ自分の好きな願いを書いて、支柱に吊るした。

僕は「家族3人が幸せでありますように」と書いた。

「幸せ」には、美味しいものを食べられることも、娘がおもちゃを買ってもらえることも、家にお金がたくさん入ってくることも、みんな入ってるからお得な言葉なんだよと説明したら、娘が感心していた。

本当は、ALSがこの世からなくなりますようにと書きたかったが、娘に説明するのが難しいのでやめておいた。

それもこれも「幸せ」の中に含まれている。もちろん、ブログの皆さんの幸せも含まれている。

妻がブログに書いたとおり娘は、猫を飼いたいそうだ。それも含めておこう。



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