今日の朝方、妙な夢を見た。

妻が上手にモノマネをしている夢だった。何かの芸能人だったと思うが、夢特有の曖昧さで何の真似だったかはっきり覚えていない。とにかく似ていて、僕はゲラゲラと笑った。

「なんだ、ALSで話ができなくてもモノマネはできるんだね、これから喋るときは、そのモノマネで喋ればいいよね」

と僕が言うと妻が、

「それが、そうはいかないんだよね」

とモノマネのまま、残念そうに言った。

「どうして?そんなに話せてるのに?」

と聞き返したところで目が覚めた。

布団の中で次第に頭がはっきりしてきて、なんて間抜けな夢を見たんたんだろう、妻はALSで話しづらいのに、と自分に呆れた。

時計を見るともう起きねばならない時間だったので布団を出た。

不条理な夢の話しというのは、本人にとっては印象深いが、他人にとっては「で、何?」にしかならない場合が多い。下らない夢で妻にも申し訳なかったと思う。ごめんなさい。

夢の話しはさておき、昨年の10月に診断が下って以来、朝、目覚めると同時に、

「妻はALS」

と意識するようになった。

こう書いてもピンと来ない方が多いと思うが、いわゆる、片時も忘れない状態なのだと思う。

夜寝ている間は意識が途絶えているが、目覚めとともに意識が戻る。そこで最初に考えるのがALSということだ。

起床して手洗いをして、顔を洗ってから思い出すといった順番には決してならない。いつも起きて最初だ。

患者の方の場合は、症状に常時悩まされているのでそれどころではないと思うが、患者家族の場合には、僕のような人が多いのではないだろうか。

次元の違う話かも知れないが、渋谷の交通事故で奥さんと娘さんを失ったご主人が、毎朝起きた時、2人はもういないという現実に打ちのめされるという話をされていた。

朝起きたとき、跡絶えていた意識が戻るのと同時に現実を思い出す感覚は、僕にも少しだけ分かるような気がする。もちろん、突き付けられる現実は、比べることもできないものなのだが。

そんなわけで、寝起きの瞬間には特有の憂鬱さがある。

一方、妻のALSの診断があった直後と今を比べると、意識の仕方は少しだけ変わったように思う。

最初の頃は、目覚めたあと数秒間モヤモヤと考え、夢や何かの間違いでなく、妻はALSなんだなと意識するちょっとした長さがあった。

しかし、いつからかそのモヤモヤはなくなり、病気のことを意識してすぐに「でも頑張ろう」と思い直すようになった。

慣れかあるいは、順応か。

添い寝している娘を起こさないように部屋を出てキッチンに入り、朝食の支度を始めると、間もなく妻が起き出してくる。

今日もいつもと同じ時刻に同じように起きてくれているなと、少し安心する。安心とともに憂鬱さは去ってくれる。

寝起きの瞬間の意識の仕方は、今後も変わって行くのかもしれない。そのうちに、あれこれ考えずに起きられるようになるのかもしない。

というか、僕よりも妻について。
爽快でないまでも憂鬱でない寝覚めであって欲しい。