GWの10連休に突入する前は、仕事に区切りをつけたり、休み明けの準備をしたりで、なかなか慌ただしかった。
休みに入ってからも、数日間は仕事モードが抜けず、娘を寝かしつけてから起き出して自宅仕事をしたり、同僚とメールでファイルを送りあったりしていた。あちこちで囁かれたように僕も10連休などいらないと思っていた。
ところが連休9日目になった今日ともなると、すっかり身体が休みに馴染んでしまい、明後日から仕事か、憂鬱だな、ああ今から10連休欲しいな、などと思ってしまっている。
人間というのは、良くも悪くも状況に順応してしまうものだ。
就職した後、特に強く感じたことだが、自分にはとても出来そうにない仕事に直面し、それでもなんとかこなしたり、こなせなかったりしているうちに、大抵のことは案外やりすごせるし、なんとかなってしまうものだと思うようになった。
意外に人間には順応力がある。無理だと思うことも、時間と試行錯誤の積み重ねでねじ伏せてしまうものなのだと思う。
では、妻がALSと診断されたことに順応したのだろうか?
先日の記事に書いたサイエンスワールドに、娘と僕の母を連れて行ってきた。妻は家で留守番にした。
行き帰り、数ヶ月振りに走る道中、見慣れた交差点、橋、トンネル、建物、看板など、どこを見ても妻と娘と3人で走った日のことを思い出してしまう。
あのコンビニに寄った、あの店で昼ご飯を食べた、あのときは、あの頃は。落ち込むわけではないが、気持ちを過去に引っ張られ続けた。
サイエンスショーで、元気良く手を挙げた娘は、今回もステージに上げてもらえ、実験の手伝いをし、とても満足そうだった。昨年、妻と2人でステージの娘を観た時はと思い出す。
診断から半年過ぎて、状況にはある程度慣れてきたと思う。家事、育児、妻のことを少し手伝うこと。必要なことをするのは、さほど苦痛ではない。
仕事も、診断後数日くらいは虚脱状態があったが、その後、自分に鞭打って取り組んでいるうちに少しづつ慣れ、以前とそれほど変わらない気持ちでこなせるようになった。
もちろん盛んに残業したり、自宅で仕事をこなすことは以前より難しくなったが、単に時間配分の問題だ。
身体を動かして、すべきことをするのは、案外たやすい。もちろん面倒なときもあるが、それは別に今に始まったことでなく、昔から変わらない。
しかし、時々沸き上がる気持ちを止めることはできない。過去のことを思い出さないようにしようと思っても無理だろう。
ALSの診断を言い渡されたとき、大学病院の先生が(現在の主治医ではない)、
「『もし病気にならなかったら』と考えるのはプラスにならないのでやめた方がいい」
と言われた。
思考法として心にとどめておくことは可能で、重要なことだが、沸き上がってくる考えをとどめることは無理だと思う。
「ジョジョの奇妙な冒険 Part2 戦闘潮流」の、極限状態に陥ったカーズについてのナレーション、
「死にたいと思っても死ねないので、そのうちカーズは、考えるのをやめた。」
という有名なくだりは、
「考えるのってやめれるんだ」
という驚きがあるから、心に響くのだと思う。
身体は動かせるが、気持ちの制御は難しい。
最近の悩みの種は、することが多くて忙しいことより、妻に対し、常ににこやかに接することができていないなど、気持ちの制御に関することだ。
行動を順応させるのは比較的たやすいが、気持ちの方は難しいと思う。