この4月から娘が小学校 に通い始めた。
学校まで約1kmと遠く、6歳児の足で大丈夫かと心配したが、幸い「楽しい」と言って毎日通ってくれている。

長く歩くのが難しい妻に代わって、義母が送り出しや迎えに出てくれており、とても有難い。

小学校入学以来、朝、娘の髪を三つ編みにするのは僕の仕事になった。毎朝4時半に起きてあれこれ家事をして、最後に娘の髪を編んでから出勤する。

幸い4月から勤務地が変わり、出勤時刻が遅くなったので時間の余裕はできた。三つ編みを上手にできるようになるためには、まだまだ修練が必要だが。

噂に聞く、持ち物への「名前書き地獄」も体験した。

やったことのある方は分かると思うが、算数セットの数え棒やおはじきに1つ1つ記名するのは、かなり根気のいる仕事だ。

1~2時間に亘って単純作業をしていると、ついつい色々考えてしまう。こんなのやっていられないと途中で投げ出したくなり、いやしかし、これを成し遂げなければ、○○ちゃんのご両親はだらしない、あの家はよろしくないと烙印を押されてしまうきっかけになるのではないかと考え直し、そうか、この作業はもともとそういったことを判定するための試験というか踏み絵というか、そういう意味合いがあるのではないかといった穿った考えに及び、最後には自分は一体何と戦っているのか分からなくなるという迷走感を覚えながらなんとか終わらせることができた。

さらに10種類に近い、書類書きをした。

・指導参考票
・緊急連絡カード
・保健調査
・学校生活管理指導票

などなど。

名前は色々あるが、要するにどれも「緊急のときに誰と誰に連絡するか」といった内容が中心で、項目がいちいち重複している。

こういうものは、重複項目を整理した上でデータベースソフトに登録し、レポートの形に整えて出力するのが世の常だろう。

いちいち別の紙に書いていたら、例えば住所が変わったときに10種類の書類を全て書き直さねばならなくなる。書類が多ければ、訂正もれ、記入誤り、表記ゆれの元になる。あちらの書類とこちらの書類で、住所番地の書き方が微妙に違うなどとといった面倒のもとになってしまう。

昭和時代でもあるまいに、氏名、住所、携帯番号などなど一体何度同じことを書かせるのかと思い、投げ出しそうになったが、いやしかしこれも踏み絵、と思い直して、読みやすい楷書で記入した。

最も頭を抱えたのは、連絡帳による伝達システムだ。

驚いたことに病気で学校を休むとき、電話連絡ではいけないらしい。

通学班の誰かに連絡帳を手渡して「今日休みます」と伝える決まりなのだそうだ。幼稚園ではスマホアプリで連絡できたのに、なんという旧態依然感。

さらに連絡帳の表紙裏には、連絡帳を渡す近所のお友達の名前をあらかじめ書いておくようにとプリントで指示されていた。

インフルエンザでそのお友達も休んだらどうするんだよ、そのときはどのみち他の子に渡すんだから、名前を書いておいても意味ないだろうとツッコミたくなるが、いやこれも踏み絵と考える。

しかし冗談でなく、これには困った。僕の家族はこの街に住み始めて4年ちょっとなので近所に親しい知り合いがいない。幼稚園で一緒だった男の子が数十メートルの距離にいるが、わずかな距離なのに通学班は別々で頼むことができない。

娘の通学班は、わずか5~6人で、新一年生は、娘と、隣のクラスの知らない男の子の二人だけらしい。必然的にその男の子の名前を書くしかないが、全く面識のない外国人のお子さんだ。

あらかじめよろしくお願いしますと断って記名したいところだが、期日までに書くようにという指示で、それもできない。

やむなく、こんな名前と聞いたなという記憶を頼りに、そのお子さんの名前を書いておいた。

事件は先週起こった。その外国人のお子さんが学校を休んだのだそうだ。娘がその子の連絡帳を預かって帰ってきた。

連絡帳を届けてあげねばいけないが、近所らしいと聞いているだけで、どこが自宅か分からない。義母が気を効かせて近所に聞きまわって家を特定し、不在だったので郵便受けに入れてきてくれたそうだ。僕は、なんら骨を折っておらず、義母が済ませてくれ、終わったあとに顛末を聞かされた。

おそらくそのお宅でも、やむなくわが家の娘の名前を連絡帳に書いたのだろう。選択肢がないから仕方ないし、あらかじめ連絡をとってないのもお互い様だ。

子供を小学校に入れるというのは、なかなかに大変なことなのだなと知った。

来週、PTA総会があるらしく、おそらく役員などが決まるのではないかとと思うが、なんとか何事もなく過ぎて欲しいと思っている。