昨年の10月19日、妻はALSと診断された。
あれからちょうど半年が過ぎた。
 
しばしば、過去のことを思い出す。
妻の手の症状が現れたのが約2年前。
喋りと飲み込みの症状が現れたのが約1年前。
足の症状が現れたのが4ヶ月前といったところだと思う。
 
どれもこれも最近のことだ。月単位で分かる程、進行が速い病気と説明されるが、確かにと思わざるを得ない。
 
昨年の夏、コーラが好きな僕のために、妻は、絶やさぬように1.5Lのペットボトルを買ってきて冷蔵庫で冷してくれた。僕が仕事に出ている間に毎日のように重いペットボトルを運んでくれていた。
 
昨年の9月、行ったことがない新しいショッピングモールに行った。客が混んでいて臨時駐車場に停めたら店舗まで驚くほど遠く、強い日差しの中を汗だくで歩いた。足の速い妻はどんどん先を歩き、僕と娘は遅れて歩いた。
 
昨年の10月から11月頃、片道1時間以上の距離を走って、岐阜県まで栗きんとんを食べに行った。娘もとても喜び、以後何度か通った。
 
あの頃、会話はずいぶんしづらくなっていたが、重い物も持てていたし、歩行は支障がなかった。遠くへ出かけ、食べ物も食べられた。

過去のことを思い出すと心が揺れる。 
一方、未来のことを考えても心が揺れる。

今後病状がどうなるかは、予想しようがないので、努めて考えないようにしている。しかし仕事で数ヶ月先の予定を組むときなどに、その頃妻は変わらずいてくれるだろうかといった思いがどうしても頭をよぎる。
 
進行性の難病にとって時間は敵だ。

「時間薬」という言葉があるように、大抵の場合に味方である時間が、ALSの場合には、病状の進行に荷担する敵でしかない。

精神的にも時間は敵だ。過去の思い出も、未来の不安も心を動揺させる。

唯一、現在という瞬間だけが味方のように思う。

妻が笑う瞬間は癒しだし、妻と娘と3人でハグしあう瞬間には、このまま時間が止まってくれればと思う。

診断から半年が過ぎた。
時間という敵に半年分、陣地を奪われた感覚がある。できればこれ以上、一歩も譲りたくないところだ。

観念的過ぎるかも知れないが、瞬間を引き伸ばして時間に打ち勝ちたいと思う。

要するに、今を出来るだけ楽しみたいということだ。次の半年も病気に負けない妻でありますように。