最近「介護」という言葉の意味を時々考える。
このブログを始めたとき、自身の病気がテーマではないから「闘病生活」とするのもどうかなと思い「介護日記」にジャンル設定した。
しかし「介護日記」もやはりしっくりきておらず、いまだに違和感がある。
「介護」と言うと、入浴、排せつ、食事の介助など、手を添えて身体を助けて介抱するイメージがある。
妻は「要介護2」の認定を受けており、車椅子や胃ろうの注入など、手助けが必要な場面ももちろん多いが、一方で本人の頑張りもあって身の回りのことをかなりこなしてくれているので、実際に介抱している時間はまだまだ少ないと思う。
むしろ、時間を割くのは、治療の付き添いや手続き、あるいは娘の世話や、炊事、洗濯、掃除など家事の分担であるように思う。
会話が難しいので色々な機会に本人に代わって連絡や説明などをするし、通院、訪問診療、訪問看護などのスケジュール調整や立ち会いなどもしている。そのために有給休暇もかなり使っている。
直接介抱するわけではない、こういったことは「介護」に当たるのだろうか?
当たるような気もするが、では具体的に言って、例えば娘の幼稚園の個人面談に、会話の難しい妻に代わって僕が出向いたのを「介護」と呼ぶだろうか。
あるいは明日、小学校のPTAが行う町内パトロールに参加しなければならず、夕方早く帰ってくるつもりだが、これは「介護」だろうか。以前なら妻に任せっぱなしだった娘がらみのことを僕が引き受けているわけだが。
そんなことを思いながら、先日、ネットを見ていたら、介護保険の認定基準のなかに「要介護認定等基準時間」というのが定められているのを知った。
「介護の手間」を表す「ものさし」としてどのくらい手間がかかっているかを、時間で評価するものらしい。この基準の中身をみると下のようになっている。
■直接生活介助
入浴、排せつ、食事等の介護
■間接生活介助
洗濯、掃除等の家事援助等
■問題行動関連行為
徘徊に対する探索、不潔な行為に対する後始末等
■機能訓練関連行為
歩行訓練、日常生活訓練等の機能訓練
■医療関連行為
輸液の管理、じょくそうの処置等の診療の補助
僕が上に書いたようなことは、既に想定済みで、間接介助の中にある程度含められているようだ。さすがに幼稚園の面接までは例示していないが、よく考えられているなと思う。
日常会話で「介護」と呼ぶかどうかはともかく、結論として、間接的に時間を費やす様々なことも「介護」の範疇のようだ。
そう言えば、先週、保険外交員の方が用事で家に来て、妻を見た際に言った。
「奥さん、会話以外は元気そうだし、大丈夫みたいだね。」
半年程前、診断直後にはそう言った問いに、
「そうなんですよ、全然大丈夫です。」
と答えていたものだが、最近は、同じように答える気になれなくなった。
パッと見には分からないが、嚥下、呼吸、手足などとても元気とは言えない。食事の苦労、呼吸器、手を使う作業や歩行も、妻は、見た目以上に頑張っている。会話が難しいのも、想像以上に色々な影響があって、それほど簡単なものではない。
保険外交員さんにくどくど話しても仕方ないので、
「まぁ見た目以上にいろいろありますよ。」
とだけ言っておいたが。
考えてみると、娘を育てる際も、食事やオムツの世話をしたり、抱っこしたりあやしたりする事だけが「育児」ではなかったように思う。
「介護」も「育児」も、直接手を添えることだけを言うのでなく、病気の家族や子供を含めて、生活をどう組み立てていくかということなのだろう。
はたから見てパッと分かるものではなく、想像以上に色々なことがあって、こういうことも大事なんだなという発見の連続だ。
4月1日に人事異動があり、僕は新しい勤務地に勤め始めた。娘は、小学校の入学式を終え、明日から登校だ。4月は環境の変化でなにかと目まぐるしい。
「介護」なのか「育児」なのか境目はよく分からないが、新年度を乗り越えていきたいと思う。