70年代オカルトブームの頃に少年時代を過ごした僕は、ちょっとでもおかしな映りかたの写真を見ると「心霊写真!」と脊髄反射で思ってしまう思考回路が出来上がってしまっている。
子供の頃のように真面目に信じるわけではないが、全く気にしないではいられず、ちょっと引っ掛かるといった程度だが。

2017年の年末、仕事納めのあと、有名な神社の前で家族写真を自撮りしたのだが、後で見返してみると、太陽の光の線が妻の首のところを横切るようにはっきり映り込んでしまっていた。
2枚撮影して2枚とも綺麗に映っているから、特別なものでなくただの光に間違いないのだが、神社の前で首を横切る光線という要素がなんとも暗示的で「うわっ」という気分になった。

そして2019年の今日、駐車場に車を停めたとき、車中で何気なく妻と僕とを自撮りしてみたら、また妻の身体を、今度は垂直に光が走る形で映りこんでしまい、何でこう年末年始に限って映るのかなぁとやはり「うわっ」という気分になった。

しかし、このくらいの写真は、専門家に鑑定してもらわなくても、意味合いを紐解けるのが僕ら世代の強みである。

曰く赤い光はよろしくないが、白い光は警告なので悪いものではない。

よし、両方とも白い光だ。悪い意味ではなく警告だな、了解、という具合だ。そもそも、昼間の写真の光に赤が映り込むなど滅多にはないのだが。


それはそれとして、ここ6年、妻は、毎年年初に病気平癒の神社でご祈祷をしてもらっている。

娘を身籠ったとき、妻は妊娠時糖尿病と診断されており、やせ形なのにもともとインスリンの働きが強い方でないと意識させられた。

以後、妻は健気にも、6年に亘って自分なりに糖質制限をしたり定期検診を受けたりしつつ糖尿病予防に努めてきた。

また、強度近視からくる目の方にも心配があって、やはり定期検診を受けている。

それらの心配のため、毎年ご祈祷を受けていたのだが、昨年、全く予想しなかったALSの診断があったという経緯だ。

ここで、
・毎年ご祈祷をお願いしてきたのにALSになった、何のご利益もなかったではないか、と考え勝ちだが、そうでなく、

・これまでお願いしてきたとおり糖尿病発症は防げているし、目の方も深刻ではない。お願いしたとおりご利益があったと感謝すべきだ。

・その上で、これからはALSの平癒のためにご祈祷を受けたいから神社を変えることを考えてもいい。

・ご利益がなかったから鞍替えするのでなく、目的が変わるから神社を変えるのだ、医者だって専門のところを訪ねるし、セカンド・オピニオンという考え方もある

という屁理屈で、ちょっと別の神社に行ってみようかと妻に話してみようと思っている。こんなくだらない屁理屈、多分妻は最後までまともに聞かないと思うが。

僕の亡くなった父が、割と信心深く宗教に入れ込んでいたのを、僕はちょっと苦々しくみていた。だから、あまりその道に入れ込みたくないのが率直なところだが、気持ちを整えるためという程度で、できることはしておきたいなと思う。