ALSの症状がどこから始まるかは、人によって異なるそうだが、妻の場合には、会話のしづらさがかなり前面に出ている。

指、手、前腕あたりの細り具合や、左手先の動きの不調も深刻なのだが、一見しただけでは、それほど目立たない。また、幸いなことに、歩行には全く支障が出ていない。

そのため、親族などが見舞いにきて、まず心配するのは、会話のしづらさだ。

どちらがいいかなどと言えるはずもないし、言葉にすること自体不適切だが、思いどおりに会話ができないのは、本当に苦しいことだろうと想像する。本当は、今こそ、話して発散したいのだろうに。

もうひとつ、これは我が家特有の事情だが、娘が幼稚園年長で、幼いことがある。子供がいると、深刻な会話や込み入った会話をする時間が、もともとない。

病気の発症以前から、僕と妻が会話をしていると、娘は、必ず邪魔しに入って、自分に分からない話はしないで!という意味のことを言ってきたものだ。会話の中心が常に自分でないと気に入らず、僕と妻が話していると嫉妬するのだ。

そういう状態なので、平日に妻とじっくり話す機会はもともと少なく、例えば休日にドライブしていて、娘がたまたま寝落ちしたときだけ会話ができるといった状態だった。妻の発症になかなか気づかなかった一因でもある。

ALSと診断されてから、明日でちょうど1ヶ月になり、疑いを持ってからは、2ヶ月以上が経過したことになる。
しかし実はその間、妻と病気について、じっくり話し合ったことが、ほとんどない。
仲が悪いからでなく、病気による話しづらさと、娘がいて深刻な話ができないのと両方の理由で、深い会話があまりできないのだ。

LINEと、最近お互いに書き始めた、このブログが会話代わりになっているが、僕は正直、もっと話したいと思っている。

昨日、入院から一時帰宅して、妻が家に一泊したとき、珍しく娘がゲームに夢中になっていたので、スポット的に会話できる時間ができた。

僕は、ソファに並んで座りながら、このまま横に座って2人でLINEしてみない?と持ちかけてみた。
発語しづらいだろうけど、LINEならできるし。
離れてLINEするのと違って、横に座っていれば、表情などの反応も加えられるのでは、と思ったからだ。

結果、15分程度LINEしただけで、それほど会話は深まらなかった。口で話すようにLINEすることは、できそうに思えるが、やはり難しいようだ。
入力がもどかしくなって、最後の方は、妻が頑張って口で話してくれた。

ただ、短い会話ではあったが、本当に深刻に悩んでいる様子だけは垣間見れた。

逆に僕は、このブログに、当事者面して気楽に、くだらないことを書き連ねている恥ずかしさを感じた。あくまで自分は、ALS患者の親族であって当人ではない。
分かったように言葉を発するべきでなく、わきまえるべきだ。

コミュニケーションしづらい環境で、妻の気持ちに寄り添う努力をこそ、自分はしなければならない。
あらためてそう思った。