妻が入院2日目です。
進行を抑える点滴を2週間、毎日一時間打ちます。
今回、初めての処方なので、副作用の確認が必要。
あわせて様々な検査、リハビリ指導もするということで、予定2週間の入院となりました。
見舞いに行ったところ、際立った副作用はなさそうでとりあえず安心。

ウケたのは、妻が昨日も今日も、Gパンにセーターという普段着で病室にいたこと。その格好で点滴してたのか。パジャマの方が楽だと思うんだが、この辺が妻らしいと言えば妻らしい。
ツッコむとわずかに微笑んでくれて嬉しかった。

僕は、もともと妻の機知に富んだボケとツッコミが好きで、今、言葉が少ないのは残念だが、それでも微笑んでくれると嬉しくなる。

幼稚園年長の娘の世話のため、昨日、今日の2日間は僕が仕事を休んだ。明日からは仕事に復帰し、義母に幼稚園の送迎をお願いする。

娘の、「ママ、早くお風邪治して喋れるようになってね」というささやかな願いが、神様に届いてくれないかなと思っている。

ところで昨日、気分に揺れがあって、時々楽観的な気分になる時間帯「も」あると書きました。

例えば、
・リハビリで会話が急激に良くなるのでは
・妻に限ってあまり症状が進行せず、広がらずに済むのでは
・案外進行せず、5年とかのスパンで今の状態を保てるのでは
などなど。

この病気の経験者の方からすると「それは…」と思われるかも知れませんが、錯覚でも思い込みでもそんな風に思い、割りとそれを信じる気持ちになる時間帯「も」あったりします。

その後で、実際に難病を患った本人でなく、夫という立場だから そのように気楽になれるのだ、本人の気持ちを全く理解できていないのだ、と自責の念にかられたりしますが。

やや話が飛躍しますが、僕は基本的に無神論者で、若い頃に読んだ本に出てきた、神は人間個人になど興味がないという考え方に同意しています。
蟻の観察をしている、蟻が大好きな学者がいたとして、その蟻が大好きな学者ですら、蟻個人の幸せや欲望などには興味がないだろうと。自身の興味からエサを与えたりすることはあっても、蟻個人の願いを叶えてあげる考えなどあるはずがない。次元が違うというのはそういうことで、神にとっての人間とはそういうものでしかない。本当にウロ覚えですが、そんなような趣旨だったと思います。

あるときには確率的にとか、一般論として、とかいう視点で考えたり、無神論者のはずなのに、部屋の風水を急に気にしたり、特に根拠もなく、まだ未来が決まったわけじゃない、悲観する必要はないと思ってみたり。

この矛盾が我ながら不思議ですが、までも、例えばギャンブルのときに、確率を考えながら神頼みしたりするのは普通だろうし、そもそも人間にとって「未来」は分かりようがなく、制御できるものではないのだから、それを自身の乏しい知識に基づいて決定事項のように断定すること自体がおこがましいのかもしれないとも思う。
明日、大地震で色々が一切滅ぶのかもしれないのだから。

そんなわけで、未来は決まっていないので、神様、娘の願いを聞き届けてあげてください。それから、娘はサンタさんにもお願いしているようなので、よろしくお願いします。