発音しづらく喋りづらい。
飲み込みが悪く唾がたまる。
食事のときに時々ひどくむせる。
左手の先に力が入らない。
腕に痛みやピクつきがある。
妻の症状は、主にそんなところだと思います。

3ヶ月前の8月までは、喋りにくいのは蓄膿のせい、腕の不調はヘルニアのせいと診断されており、特に疑っていませんでした。

2018年9月10日、市民病院で診察を受け、舌や手の筋肉に萎縮があるらしいと分かり、もしかしたらALSかもしれないと初めて意識させられました。
その翌月、10月18日に大学病院で筋電図検査と神経伝達速度の検査を受け、10月19日にALSと診断されました。

ALSの疑いを意識し、実際に診断されるまで約40日かかっています。その間、不安とどう付き合ったか、そして診断後どう変化したかについて書こうと思います。

まずはとにかくネット検索でした。妻の症状に当てはまるものを探し、何度探してもALSしか見当たらずに絶望し、一家心中を考え、そういったことを検索してみたり、受け入れるしかないと自分にいい気かせてみたり。しかし、しばらくすると、いや待て、まだALSと決まったわけじゃないし自分の知らない別の病気があるかもしれない、自分は医学の素人なんだからと思い直し、またALSについて調べ直し…
そういったループをとにかく何周も回っていました。

妻もある程度は、同じだったろうと思います。しかし、僕と妻が違っていたのは、その振る舞い方でした。
僕は、疑いをもった翌日には自分の母に話し、幾人かの友人にも話して泣きを見せました。

しかし妻は、診断されるまでは誰にも話さないと言って、友人などにも一切漏らしておらず、自分の母親にも打ち明けませんでした。せめて母親には伝えるべきだと僕が判断し、無断で連絡したくらいです。仲の良いお姉さんにもついに診断まで、打ち明けませんでした。

そもそも妻は、喋りづらい状態だったので、長い説明をしたり、気持ちを話したりすることが難しかったこともあったと思います。
しかし、事情を知っている僕にすら、気持ちの吐き出しをほとんどしませんでしたし、自分からは、その話題に触れようともしませんでした。

大学病院の検査の数日前になってようやく、
「そうかも知れないと思うことと、そうだと言われることは全然違う、怖い。」
と漏らしてきました。

不安との付き合い方は人それぞれだと思います。乱暴に言えば、撒き散らして他人に分担を強い、分かちあった方が楽に決まっています。しかしそれは、迷惑な振る舞いですから、本来慎みが必要。僕にはその慎みがあまりありません。
一番辛い妻本人が、僕よりも遥かに慎みをもって向き合っているわけで、そういう姿をみていると、本当に何とも言えなくなります。

具体的にどんな不安に苛まれたかは、また日を改めて書こうと思いますが、一つだけ挙げると、もしALSだったとしても、時々は、心底から笑えるんだろうか、それとももうそんなことはできなくなるのだろうか、という問いにかなりとらわれたことです。そして、結果はALSということになったわけですが…

例えると、糸に重りを吊るした振り子に似ているような気がします。
娘の屈託ない笑いに触れたときに、一瞬笑うことはありますし、ハッと驚くこと、おかしなこと、興味を奪われること等があったとき、気持ちの振り子は前後左右に結構揺れます。不安に始終縛られているわけではなく、良い方向に揺れて笑うこともあります。

しかし、放っておくと揺れが小さくなって支点の下に収まってしまいます。楽しい瞬間や、何故か楽観的になれる時間帯があって、ふと大丈夫かなと思ったりもするのですが、やがてどうしても支点の下に引き戻されてしまう。そんな感じです。それは、診断前も診断後もあまり変わりません。診断後の方がより、引き戻される頻度が増えたことは確かですが。

一点、振り子と大きく違うのは、比較的楽観的な気持ちから支点の下へと、本当に一瞬で引き戻されることがしばしばあるということです。
目に入ったものや、耳に入った言葉からの連想で、一瞬で気持ちが引き戻されることがある。
振り子であれば、段々に揺れが収まって、止まりそうになるのを予想できるのですが。

今日も非常に長文になりました。
実は、妻が今日から入院です。
僕がくだらないことをジクジクと考えているときにも本人は頑張っている。診断前とまるで変わりません。僕も頑張ろう。