皆さま こんばんわ~~~

 

まずは 今朝の質問にお答えしますね (*^-^*)

 

せっかちなのは 私でなく、相方さんのほう

 

それも ただのせっかちではなく  超せっかちなんです

 

だから かなり時間前に到着して 結構な時間を待つという事 多いんですよ

 

そうしないと 心配のようです( ^ω^)・・・

 

まあ~~  遅れるよりは良いですけどね

 

さて 今夜は 「私の女優ヒストリー」 26回目

 

電撃結婚をして  翌年長男を出産しました!

 

育児に忙しい毎日を送っていたところ 素晴らしいお仕事をいただきました

 

TBS放送の 「新選組始末記」 

 

山南敬助の恋人 <明里>の役です

 

久しぶりのドラマの仕事 やおら女優の気持ちが復活して自分の顔を見たら

 

あらーー大変!!!

 

子供を連れて 毎日散歩をしていたせいか シミが・・・

 

慌てて お世話になっていた「赤坂皮膚科」の先生に相談に行き

 

ビタミンCを処方していただき 

 

「あなたは女優さんでしょ! 忙しいなんて言い訳しないで きちんとお手入れしなさい」

 

と、こっぴどく叱られて~~

 

それからは 日焼け止め&帽子&日傘 欠かさないようにしました☆☆☆

 

近藤勇役の平幹ニ朗さんは 有名な俳優さんなのに

 

お付きの人もつけずに 一人で稽古場にいらしていましたね

 

土方歳三役の古谷一行さんは 俳優座で相方さんの同期です

 

 

山南敬助を演じた高橋長英さんは 俳優坐15期生

 

何度かご一緒したことがあり

 

有名な格子戸越しのシーンでは リハーサルの時から 涙が止まらず困りました

 

 

 

沖田総司を演じた草刈正雄さんは 本当にハンサムで背が高く

 

お弁当を二人前ペロリと食べていました(*^。^*)

 

たくさん食べるから 大きくなったんだなあーーーと感じましたね

 

「明里」は 史実にはなく創作のようですが

 

豪華な俳優陣に囲まれ

 

本当に女優冥利に尽きるお仕事をさせていただきました

 

テレビドラマ(1977年)

1977年4月7日から同年9月29日まで放送。全26回。放送時間は毎週木曜22:00 - 22:55

キャスト

明里(あけさと、生没年不詳)は、江戸時代末期(幕末)の女性。

新選組総長・山南敬助の恋人。

以下の記述は、昭和になって子母澤寛八木為三郎(新選組が屯所としていた八木家の子息)からの証言を元に書き記されたとされる『新選組遺聞』を元に解説する。

生涯

京都島原の天神(芸妓の位)で、新選組総長・山南敬助の馴染みだった。

 

 

21から22歳ぐらいで、島原から身を退いて里で暮らしていた。

元治2年(1865年)2月23日に山南は罪を受けて切腹することになり、屯所の壬生前川家の一室で控えていた。為三郎が様子を見に門を出ると、明里が大急ぎで前を通り過ぎ、山南の名を呼びながら前川家の西の出窓をしきりに叩いた。格子戸の障子が開いて山南が顔を出し、明里は格子を掴んで泣き崩れた。山南は淋しげな眼で明里を見つめ、20、30分ほど言葉を交わした。そのうち人が来て明里を連れ去ろうとするが、明里は格子を掴んで離れようとしなかった。それを見ていた山南はすっと障子を閉じてしまった。泣きながら去ってゆく明里の姿を為三郎は見ている。それから程無く山南は切腹した。

「格子戸の別れ」として有名な場面だが、子母澤の新選組物は創作が多く入っているとされ、新選組幹部の永倉新八が書き残した山南の切腹についての記録には明里の名は出てこない。このため明里のエピソードは創作ではないかと考えられている。

 

このシーンは ドラマでは、永倉新八役の夏八木勲(故人)さんが 私をおぶって

 

山南敬助のところまで連れて行くというシーンとなっていました


女優生活の中の 忘れられないシーンのひとつですね

 

「新選組」は 大河ドラマを含め 色んな方が近藤勇を演じてきました

 

「忠臣蔵」と並んで 良く取り上げられてきましたー❤❤❤

 

では また明日

 

おやすみなさーーーい