皆さま  こんばんわ~~~

 

今まで テレビの世界の事を書いていましたが

 

私が出会った 最初の映画のお仕事の話を致しますね

 

芝居というものは テレビも映画も 本番前に何度もリハーサルをするのは同じですが

 

VTRが 無かった時代のテレビとは違って

 

映画の撮影は 全く違う現場でした

 

さて

 

「やる気あります」 と答えた後

いつ辞めようかと 心の中で思っていた私でしたが・・・

やはり この道を進んでいこうという決心をする作品と出会えました!

 

高倉健さん主演の「恐喝」

 

 

組織を裏切り 金のためなら何でもするという異色のギャング映画

1963年9月14日 東映系で公開されました

お相手は 三田佳子さん

 

私は 高校一年になっていましたが

オーディションで 健さんを慕う 中学三年生の貧しい女の子の役に

大勢の中から選ばれました

とにかく~~ その時は やる気あまりなかった頃なので

東映児童のお仲間や 他の児童劇団の人たちのなかから 選ばれたとき

「選ばれたんだ・・・」とは思いましたが 

飛び上がるほど嬉しいという訳ではなく

実感のないままの気持ちで 撮影に入りました

それからが大変!!!

 

渡辺雄介監督に 絞られましたねーーーー

何度やってもOKをもらえず  どこが悪いかもわからない

 

高校に進みたいけど 家が貧しくて進学することが出来ず

すねて ドシンと座るシーンがありましたが

なかなかうまくできなくて

あまりに何度もテストを繰り返したので 気が付いたら

膝の皮がむけてました “(-“”-)”

演じるという事を甘く見ていた自分に 本当に反省しました

 

健さんは 当時 すでに大スターで 近寄りがたい雰囲気があり

私は なるべく そばに行かないようにしていましたが

ある日

撮影が終わり 帰ろうとした時の事

東映の俳優さんが ふざけて

「えいこちゃん 遊んで帰っちゃダメだよーー」というので

私も ふざけて

「遊んで帰っちゃおうかなあ~~」と答えたら

突然

「ダメだよ 遊んで帰っちゃ! まっすぐ家に帰りなさい」

と 物凄い勢いで 健さんに叱られました

え~~~~ わたし、別に本気で言ったわけではないのに

でも 高校一年生の私の事を考えて 注意してくださったのだという事は

よくわかりました***

本当に 真面目な方でした・・・

 

 

 ワンカット ワンカット 丁寧に繋いでいき

果てしない時間をかけて 一本の映画を作る

大勢の俳優陣と スタッフの 共同作業

その時 映画の世界の素晴らしさを ほんの少しわかった気がして

もうすこし この世界できちんと仕事を続けていこうと思いました

 

ですから 正確に言うと 

女優への道が始まった瞬間は 「恐喝」という映画に出会えた時ですネ

まだ 大川栄子ではなく、本名の後藤栄子の時代です

 

手元に3枚しか残っていない 貴重な健さんとのテスト風景

 

 

よく 残っていたもんだと思います

 

さて 次回は  芸能界から少し離れ

下宿屋さんを始めた 母の話を紹介いたします

こちらも ドラマのようで、なかなか愉快ですよ!!!

 

では  また明日

 

おやすみなさーーーい