皆さま  こんばんわ~~~

 

コロナウィルス 第4波の心配も浮上してきましたが

 

今夜は「女優ヒストリー④」をお届けいたします

 

綴りながら  私って本当に 昭和を生きてきたんだなあ・・・と

 

つくづく思いました

 

なんと  東映児童演劇研修所に入ってから 今年でもう63年目となります

 

さて 女優ヒストリー 続きをお届けいたしますネ

 

 

「やる気あります!」と 答えた私でしたが

 

それは ウソでした・・・

 

中学生の間は いつ辞めようかと、そればかりを考えていました

 

当初は 自分から望んで入った世界ではありませんでしたからね~~

 

もし 父が生きていれば 私は女優を辞めていたかもしれませんが

 

私の父は 私が中学1年の時に 病気で亡くなりました

 

受験をして 成城学園に入学したばかりの頃 

 

兄も 大学一年生で 二人そろって私立でしたので 教育にお金がかかります

 

途方にくれた母に 父が勤めていた「日立」という会社は

 

私が大学を卒業するまで 父のお給料の半額を毎月届けてくださいました

 

今では 考えられませんねーーー!

 

お得意さんが 後藤(私の実家の名前です)の家が路頭に迷うような事があれば

 

後に続く社員はいなくなるぞ!!!  と会社に交渉してくださり

 

手厚い待遇を用意してくださいました

 

今でも 「日立」という会社には 足を向けて寝れません(#^^#)

 

当時  キャシー・リンデンの 「悲しき16才」という歌が流行っていて

 

「ヤヤヤーヤ ヤヤヤヤ 」というイントロで始まる歌が心に残ってます

 

日本では <ザ・ピーナッツ>が歌っていましたね💕

 

ちょうど 春で、学校の花壇にチューリップの花が咲いていて・・

 

物悲しい歌声が聞こえてくる

 

ですから  父の死と、チューリップと、悲しき16

 

3点セットで 私の心の中に残っています

 

子どもの頃の私の最初のお仕事は

 

昔は「NET」と言っていた テレビ朝日の開局記念番組でした

 

 

 現在は とてもお洒落な環境とビルの佇まいですが

 

1960年 当時、材木町と言われていた場所にありました

 

放送は3月1日だったようです

 

「NET開局記念番組」

 

草月流の勅使河原蒼風氏が出演されていて

 

私は 屋根の上でヴァイオリンを弾くというシーン

 

 

ヴァイオリンを習っていた関係でキャスティングされたのでしょうが

 

なぜ 屋根の上なのかは 記憶にありません

 

そして

 

寝床に着くというシーンとなるのですが

 

VTRなど無い時代  全くのLIVEです

 

そこで 私は とんでもないことをやらかしてしまいました!!!

 

その話は  また今度

 

では  おやすみなさーーーい