皆さま おはようございます~~~(*^-^*)

 

2月も今日で終わり・・・

 

そして、七十二候の「草木萌動」ですね

 

草木が一斉に芽吹き 新しい命が春の訪れを告げる時です

 

昨夜は<満月>でしたのに うっかり見そびれました~🌕

 

でも  朝の西の空に 沈みゆくまん丸なお月様

 


富士山もそうですが まん丸なお月様を見ると やはり幸せな気持ちになります

 

さて

 

今日は 私の芸能生活の「ルーツ」の話

 

戦後のベビーブームに生まれた私 いわゆる「団塊の世代」と言われますが

 

母は、「とても人数の多い時に榮子を生んでしまった!。 将来は

 

何か 職を持たないと 生存競争に生き残っていけない」と考えたそうで・・・

 

結構 教育ママだったのね~~( ^ω^)

 

最初に習ったのは ヴァイオリンでしたが その話は長くなるので

 

飛ばしてーーーー

 

「東映児童演劇研修所」に入ってからのお話 (*^-^*)

 

東映株式会社東京撮影所の一部門で

 

広い撮影所の敷地の一角にありました

 

母が 私に相談なく 願書を出して 運よく合格

 

1958年 一期生として入団

 

同じ一期生には、風間杜夫さん(当時は住田君と呼んでいました)

 

石橋蓮司さん、松岡きっこちゃん、後輩には小倉一郎さん

 

「雅美と一郎」にゲスト出演した時 一郎さんが なんと!

 

東映児童劇団時代の写真を披露してくださり

 

どうして持っていたのかしら??  不思議ーーー💕

 

 

 

 

「おしん」で一躍国民的なアイドルになった 小林綾子さんもいましたヨ

 

随分沢山の俳優さんが 誕生しました

 

今は 閉鎖されているようですが

 

当時  基本的な 発声や演技・パントマイム・歌・ダンス などのレッスンを

 

毎週 土曜日と日曜日に行われていました

 

ただ  私は 女優になるつもりは全くなく

 

友人のお誕生会があると言っては休み~~~

 

どこかに出かけると言っては休み~~

 

だって 自分がやりたくて申し込んだわけではないのだからと言い訳をして

 

反抗していました!

 

大泉まで通うのも 遠くてイヤだったのですね

 

母が凄かったのは、普通 お休みする時は電話で連絡するものですが

 

私の代わりに 西武線の大泉にある東映の撮影所まで行って

 

「エイコは 今日お休みさせていただきます」と報告に行っていたのですね

 

2年後 卒業公演の後、そのまま残れるか やめさせられるかの合否の時

 

私は ヴァイオリンやバレーを習っていたので 残れるほうに選ばれたのですが

 



この子は休んでばかりでやる気があるのかどうかわからない

 

本人がレッスンに来た回数よりも 母親が謝りに来た回数のほうが多いくらいだ

 

本人に確認をという事で  親子で呼び出されました

 

目の前には 研修所の所長さんはじめ、歌の先生、ダンスの先生 等々

 

ずらーーと並んでいて ちょっと緊張しちゃう

 

所長さんが尋ねてきました 

 

「君は あまり熱心にレッスンに参加していないが やる気はあるのですか?」

 

「やる気は あります!!!」 と答えたのは 母**

 

「お母さんは黙っていてください  本人に尋ねているのです!」

 

なーーんとも怖い雰囲気  とてもじゃないけど「やる気ありません」

 

なんて 答えられる雰囲気ではありません

 

「やる気 あります」 と思わず答えた私

 

女優への道が始まった瞬間でした

 

この続きは またの機会に

 

では 楽しい日曜日を!!!