文集も三作目になる、世間では、三部作とも呼ばれ、大抵の映画、ドラマではハッピーエンドで終結する。私も作品の秀作に当たる三本目を書こうと思う。
まず、ハッピーエンドとは何かと考える。簡単な話では、最初の作品で主人公の運命に気づき、二番目で不幸に陥る。そして、三番目で逆行から悪(敵)に勝利するのが大抵の終了である。
もちろん人々は、主人公の不幸も知っているので、ハッピーエンドに終結する物語を幸せ感で受け取り、一時の幸福観を得る。このことは全人類の希望であり、悪を完全に超えたという達成的感動を共有する。
何を言いたいかといえば、人々は、現実を凌駕する、幸運、幸福をヒーロー(英雄、スター)を通して受け取り、ヒーローと同じでありたいのである。ヒーローは人類の為にメッセージを与え、そのメッセージは永久に残る。 悪に負けない為に。
それでも、大半の人々はヒーローを失った瞬間に堕落という自我に陥る。喜ぶのは、本当の悪であり、人間の優柔不断さを見逃さない。 悪の仲間を増やし、権力を神以上の者にするために。
サッカーのワールドカップを見てみよう、イエローカードもあれば、レッドカードもあり、スター選手、人間性のあるメンバー、勝つためには、悪を冒してでも勝とうとする選手や、正義感のあるゴールキーパー、最後には審判、サポーターも存在する。この魂胆たる様は、スポーツは「スポーツマンシップ」にのっとる精神とはかけ離れた、スポーツであり、「サドンデス」突然たる死。スパルタ的要素も持つ、この点は、命がけでもチームを勝利させたいというスポーツを超えた、戦争的な要素もある。
では、人はなぜこのスポーツに興奮する、熱中するのだろう? 私には理解不能である。ただ、エースストライターがいて、見事なドリブル、シュート、そしてゴールシーンには感銘を覚える。結局、私も単にヒーローが好きなだけである。だから私は、選手生命の短いメンバーの気持ちを理解していないのである。4年に1回のイベントで、出場するだけでも名誉な大会とは、わかっていないのである。その試合にかける、愛国心からの反則とは感づいていなかったのである。勝てばいいただそれだけである。
だが、私はサッカー「ワールドカップ」の弱点を指摘しよう。一回の試合で、世界の半分が死に、半分が生き残る。また、半分・・・結局、勝とうが負けようが、幸せなのは、世界でたった一国なのである。戦争だったら恐ろしい事になる。人は誰も滅ぼされたと感づいていないのである(トーナメントで敗戦した結果を)。人々は、自国が負けるとワールドカップを見る意味がないのであるが、スター選手の技量には私と同じく感銘を受ける。天才、選ばれた逸材、天命を授かった、奇跡の選手。「神ってる」という言葉も浸透した。
奇跡の人は人々には絶対に必要である。子供たちには特に。
私たちの出来ることは、自分を知り、他を思いやり、奇跡の人、天に選ばれし者が現れるまでひたすら待つことである。
精神障害者としての未来、希望とは、何であろう?
精神障害者の私は、社会的に消され、人格を否定され、生きること、結婚すること、家庭を持つこと、仕事をすることなど、非人間的な扱いを二〇代の時に受けた結果、自殺まで考え、悪い事ばかり続き、挙げの果てには、肉親も失い、生きるしかばねとされた、哀れな一人間です。私が何か悪い事をしましたか? 私の幸せを奪ってさぞ面白いでしょうね、人間を殺してはいけない、でも私を殺しても構わないのでしょうね? 年上の方々、上司の方等のパワハラは犯罪ではないでしょうね? セクハラも同様でしょうね? 人間は弱い人間を人間とみなさないのでしょうね?
これが、二〇代の自分でした。三〇代は病気の思うがままでした。四〇代幸せを思う世代でした。
私は、正直に言うと選ばれし人間なのでは、と思います。なぜなら、神を見たから、その神を見た瞬間、幸福につつまれました。人間死ぬ間際に神を拝見するんだなと思いました。完全なる善です。私は伝え続けます。神は存在すること、最後には神が助けてくれることを。
生まれ変わったら、神の世界からあらゆる苦しんでいる存在を助けたいです。それが、私の恩返しです。大丈夫です。神は存在します。
あなたが神として信じられる存在は、何の神様ですか?
世界にはいろいろな宗教が存在して、多種様々な神が存在しています。
私が信じる神、「鳳凰」は私が五歳の時から、大げさですが守ってくれていると感じていました。
しつこいようですが、少年少女の頃から信じている、もしくは生まれた当時から存在を感じている神、守護神は、あなたがいつも心の中に留めていてほしいと思っています。
神様に感謝いたしましょう。誰もが忘れているだけです。