文集を書いている自分とは、どういう感じなのでしょうか?
普段私は、精神障害者支援ホームで生活をしています。その際、文集の事は全く考えていません。普通に生活を行っている、他の方と一緒です。
どうして文集を書いているのか、それは現在一ヶ月経って分かって来ました。得意としているパソコンと自然に頭に浮かんでくる文章。時間と共に変化する私の日常生活での記憶。
書くことによる、自分自身の頭、発言のリハビリも兼ねています。
また、デイケアでの私は無口です。これは決して不自然な状態ではありません。人間付合いが不得意であるともいえます。私がここ『あゆみ』で、一人の人間として出来る事は、人間関係と同時に文集を書き、いつかは『あゆみ』に居させてもらえる自分に成長する事です。
四十歳を迎えて、パソコンも得意だと自信を持って言えなくなってきました。パソコンで『あゆみ』に対して貢献できると思ったことも過去のものです。時代遅れのエンジニアです。
こういった記録を付けていける事が、過去から年齢を重ねる醍醐味だともいえます。
また、ここ『あゆみ』での生活は、自由であり、しかし規則も決められています。自由と束縛その中で、どうやって居させてもらうか? 多分、自分自身での自立が、『あゆみ』で出来る最終目的ではないのかと思います。
病気、障害を乗り越えての自分の生活習慣が完成された時、それが自立だと思います。
私は、文章を血圧計のごとく、毎回書き続けます。自分の精神が、健康なのか、不健康なのか、それは自分でも他の方でも、文章を読んでいただき、分ると思います。
今日の自分は、どういった感じなのか、文集を書き終り、再読する事で大体わかります。
ちなみに今日は、神または悪とは一切かかわりのない普通の人間の文章だと思います。
自分の弱点を補うための文集作成者、将来への目標などで努力している人だと感じます。