精神障害者(統合失調症患者)の大川裕樹による文集(文章:文学:文献) -76ページ目

精神障害者(統合失調症患者)の大川裕樹による文集(文章:文学:文献)

精神疾患を患いながらも必死に文章を発掘しています。
よろしければ病気を持った患者の思考を拝見してください。

勉強する事 Y.O
 学校の勉強は殆どの人が嫌です。
それは、その人にもう学校の勉強の領域が備わっているからだと思います。
学校の勉強をする必要が無いから、それでも無理に受験勉強を進めると、
学校側から不良と言われる身分とされます。
私は、高校から大学まで推薦で進学をしました。
学校の勉強は、多少の嫌悪感がありましたが、努力をしました。
反対に、学校の教育に適応できず、高校を中退、中学を中退した人を知っています。
彼らは、不良でしょうか?  私にはそう思えません。
学校の勉強が出来なくとも、道徳的に立派な人はいっぱいいます。
彼らは、仲間を大事にします。
エリートと呼ばれる、高学歴な方は、社会的に良い環境に就職し、
ピラミッド形式で同期を排他します。
どっちがいいのか分かりませんが、
私達精神障害者は、他人からのストレスで排他された方々も多いです。
何のために勉強をするのか? 誰の為の勉強なのか? 
私は、自分自身でも勉強の本当の意味が分かりません。
人間は皆平等であると、学校の先生が言っていました。
今では、人権は皆平等だと。範囲を狭めて、私は感じています。

そうでなければ、デイケアの様な施設は存在しなかったのです。
 精神障害で排他された方々を、リハビリして、社会復帰させる施設など、人権に対して、相当理解を示してくれている社会でなければ、エリートや労働者だけ生きられる社会になっていたと思います。(病気、ケガ、症状、学歴不良、非労働者等は殺されたかも知れません。)
 この曖昧な、国家で、不完全な社会に生まれて、私は少し不平等を感じています。
 障害者年金、生活保護等で障害者は守られていますが、一歩、新しい障害を抱えると、障害者の権利を得るためには、障害の人数、医学的認知、社会的認知も必要となり、時間だけが経過し、その障害者の方は障害者として認知されずに、亡くなられる事もあります。
 障害者は、社会から不良と思われる事で、仲間を大事にし、また、エリートの医者に診察をしてもらえる権利を得れます。
 
 障害者の勉強とは、人権(生きられる権利)を最大限活用し、
健康的な方々から、援助を得られる特権を、日々感じられるかどうかを自覚しているかどうかだと思います。

勉強不足だから、無理をして、生活をしているのだろうか?
勉強不足だから、社会復帰をするのだろうか?
障害者の社会復帰は、本能的で皆が思っている、または、皆が本能的に思っていた理想だと思います。

勉強不足の自分は、障害者である事を自覚しているのか、権利を最大限活用できているのか、疑問に思います。最近は、健常者の人たちに頭が上がりません。