精神障害者(統合失調症患者)の大川裕樹による文集(文章:文学:文献) -74ページ目

精神障害者(統合失調症患者)の大川裕樹による文集(文章:文学:文献)

精神疾患を患いながらも必死に文章を発掘しています。
よろしければ病気を持った患者の思考を拝見してください。

楽しむ Y.O
 楽しむ。それは期待をして、その期待に報われる事。
楽しい。それは予想外の事が起き、少々の感動に浸れる事。
二点の違いは、自主的に行動を起こすか、受動的に行動を受け入れるかの違いですが、自己満足でもいいので、『楽しむ』『楽しい』からの、良い点だけを受け継いだ言葉も欲しいです。
つまり、期待をして、予想外の事態で、その期待に報われる事。
そう、『受験合格』です。
 私の友達に獣医になりたいとの希望を持った、中学時代の受験の事を書きます。
 その友人は、中学での成績は私以下で、とても『弘前高校』に合格できるまでの点数が取れなかったのです。
 その友人が、ボーダーラインぎりぎりで、合格できたのでした。
でも、同じクラスメイトであり、友人であったにもかかわらず合格した事で、私はあまり感動をしませんでした。
     そう、私は人生を理解していなかったのです。
 高校受験が、どれだけ大事なことだと理解していなかったのです。
 私は、友人以下の精神年齢でしかなかったのです。
 受験を面接だけで出来る、『弘前工業:情報技術科』受験合格でも、周りから「楽して受験できてよかったな」とか、『弘前高校』を受験する人達からは少々の嫌味を言われました。
 
     私は、苦労を知らず、ラッキーボーイなのでした。
     もちろん、その先の『弘前大学:理学部:情報科学科』合格の際もです。
     今、獣医を目指した友人はどうしているのだろうか?
     噂でも、獣医になったとは聞いていません。
     不幸になっていなければ幸いです。
さて皆さん、一生懸命な事は分かっておりますけれども、あなたの夢や希望を、
色々な方々があってこそ、今の自分があると理解をしていないと、
少しのミス(人間関係の本当の感謝、恩、感激の軽い受け止め方)で、
人間関係から疎外を受けます。
 本当に、感謝してその方の前で泣いた事がありますか?
 残念ながら、私は人間関係ではなく、神様の前で、
『なんで自分なんかのために(助けてくれたのですか)』と大声で一生分の涙を流しました。
 幻聴と戦っていた事が、自分にとって一生懸命で、例え幻聴に負けたにせよ、
 神様は助けてくれました。
 私の人生は神様にある。
 と思って二十年です。まだ、迎えに来てもらえません。現在あきらめて、本当に自分がしたい事は、お買い物です。(個人経営のお店で、大企業に何とか負けないように必死になっている方からの笑顔で)、本当の成功者である人の言葉を聴く事です。
 また、サラリーマンから、物は買いたくありません。『ありがとうございます』に血が通っていません。比べての経営者の儲け話、経営事情、失敗した話を聞きたいのです。
 彼らは、数十年個人事業を営んでおり、楽しい時も、つらい事も経験し、人生を自身の責任で暮らしているので、独特の明るさ、人を引き付ける魅力、自身を付けさせる会話、などなどの魅力で生活しているのです。
 人一倍勉強好きで、人間関係が大好きで、人情もあり、
儲けの鬼になったり、儲けの仏になったり、金の亡者になったり。
普通の人間では、無いのです。
私は、その先輩方の勉強をせよと、運命づけられているのかもしれません。
勉強は、本から得る物だけでなく、人間関係、雰囲気、オーラ、輝き、声のトーン、音楽等、あまり一生懸命にならずに得るものなのかもしれません。
獣医を目指していた友人が、獣医に執着し、路頭に迷うことなく、人生を全うできている事を願い、自分の勉強(デイケア:お買い物)に戻ります。