今の日本式指文字はヘレンケラーのアドバイスから作られた | 聾史を探る(旧)

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1929年 昭和4年9月15日

大阪市立聾唖学校教師である大曽根源助がアメリカへ旅立ちました。アメリカに旅立った理由はアメリカの聾教育の視察、成人聾者の生活の研究等があり、ヘレンケラーに会いたい気持ちもありました。


ヘレン・ケラーに会いたい機会を作りたいと思った時、大阪朝日新聞社の特派員恒川に偶然会い、ヘレンケラーに会いたい希望を話したら、恒川は早速、ニューヨークタイムス社に電話して、同社からヘレンケラーを紹介して下さるようにと斡旋してくれました。



1929年 昭和4年11月7日

その日は大曽根がヘレンケラーに出会う事が実現した日です。

大曽根がヘレンケラーの邸宅に訪問し、十畳ばかりの質素な応接間に通されて、しばらくするとトムソンに付き添われてヘレンケラーが静かに入ってきました。まず、トムソンがヘレンケラーの右手に自分の右手を入れて指文字で大曽根を紹介しました。トムソンの右手の指文字から読みとって、大曽根の手を強く握り締めて明瞭な英語で、

「よく来て下さいました。私は日本の方とお会いするのはこれが初めてでございます。しかも、聾唖教育に携わっておられる方がお訪ね下さいましたことは、何よりも嬉しゅうございます。」

と、語られました。自分が通訳なしにあなたと直接語り合いたいと思って、ローチェスターの学校で指文字を習得して来た事を通じると、ヘレンケラーは非常に感激して、

「ありがとう、ありがとう」

と言いながら、大曽根の手をもう一度、強く握って、今日1日ゆっくり語りたいと言いました。2人は指文字でヘレンケラーの掌に語り、ヘレンケラーは明瞭な口話で語りました。

大曽根がヘレンケラーが言語習得したキッカケについて質問し、ヘレンケラーは謙遜な態度で、

「私が今日あることのできましたおは、偏に家庭教師のサリバン先生のお陰です。あぁ、そうでした。サリバン先生は今この2階で病臥しておられます。

と、語り、ヘレンケラーの言語習得の第一歩は指文字であったと力説して、

「日本にも指文字はありますか?」

と訪ねました。大曽根は渡辺式指文字を紹介しましたが、ヘレンケラーは、

「日本にも指文字が用いられるのは結構ですが、腕を軸にして、そんなに空間に運動する指文字は盲人には通せず、時間的にも不経済ですから改良の余地がありますね。」

との事でした。大曽根はヘレンケラーに、盲聾にも通じる指文字の草案を約束しました。

ヘレンケラーは指文字の効果を強調して、

「それを基礎として自分が口話発語の練習をして、触唇法(相手の唇に指先をあてがい、その唇の運動を触覚によって知る法)で、対話者の話を読み取り、自分は口話で答えて用を弁じる事ができる様になったのであるが、大学の講義を聴く時などは間接にサリバン先生の口唇を通じて、触唇法で読み取らなければならなかったのですが、サリバン先生はお骨折りは今更に有り難く思います。今も新聞雑誌はトムソンの口唇を煩わさなければならないのでありますが、私のような盲聾の身でも、ここまで自分を育て上げることができたのですから、聾唖の方々には努力次第で前途の光明は如何程でも開けるのではないでしょうか」

と、非常に熱のこもった言葉でした。

そして、昭和5年3月に、ヘレンケラーから参考にと渡されたアルファベット式の指文字を貰い、大曽根は帰国し、大阪市立聾唖学校で、改良に改良を重ねて、今の日本式手話が出来上がりました。



この様なエピソードを初めて知った時は感動のあまり、涙が出そうになりました。今の指文字にヘレンケラーが関わったのは非常に驚きました。ヘレンケラーに関する本をいくつか読んだか、この様なエピソードは無かったので、どうして載せなかったのか気になります。今の指文字にアルファベットがいくつか取り入れてあるのはアルファベット式指文字から作られたんだねと改めてはっきり分かりました。以前は指文字にどうして、アルファベット式指文字と似てるのがいくつかあるのはどうしてだろうと疑問に思っていました。


アルファベット式指文字

日本式指文字


A=

B=

C

D

E=

F

G=

H=

I=

J

K=

L=ラ行のに近い

M=

N=

O=

P

Q=

R=

S=

T=

U=

V

W=

X=

Y=

Z


こうして見ると日本式指文字がアルファベット式指文字から取り入れたのが分かりますね。


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