「器」が「大きく」ないと、

「受け取れる量」が少ない。


建前で、「お金」や「たわし」

「みかん」や「お菓子」

いろいろ屋根の上から撒かれても

拾える量は、手に持てるだけ。


両手が塞がれば、

後は、落ちてくるのをみているだけになる。


「器」の話。


今日見ていた動画に、

「器」の話が出ていました。

「器」は、「感謝」のレベル。

どんなことにでも「感謝」が出来る。

そのレベルが「器」の「大きさ」を表すと。


来月、お話し会を開きます。

参加者がいない。。。


今日、学びの場の出発式に参加して、

5年前の自分を思い出していました。

模擬店や、スポンサー探し、

お話し会の開催、チラシ作り。


あの時は、真似事で、

開けば先輩方が参加して下さって、

伺えば、先輩方が協賛金を出資して下さって。


その当時はあっぷあっぷで、

乗り越えてきた気がしていたけれど、

今、思うと、なんの努力もせずに、

人もお金も集まって、開催の真似事を

させて頂いていた。と、言うのが本当のこと。


チラシを作ってみる。

ネット上に広告を載せてみる。


人が集まらない。

桜が欲しい。。。


何が言いたいかと言うと、

広告掲載を募集しても、

スポンサーが集まらない。

チラシを作っても、置いてくれるところがない。

会を開催告知しても、人が集まらない。


「感謝」の「量」・「深さ」とは、

「チャレンジ」して、

「経験」を積むと言うこと。


苦い経験ほど、

その結果の有り難みを体感する。


「器」とは、

「チャレンジ」した回数であり

「助けた」数、「助けられた」数、

どちらでも良いので、

体験したと言うことであると、思う。


なにもしなければ、

恥をさらすことも、救いを求めることもなく

苦い経験はしない。

その代わり、「器」も大きくならない。


チャレンジすれば、

傷つくことも、不安になることもある代わりに

人が集まることも、

お金が集まることも、

ものが集まることも、

天気がいいことや、

人がご機嫌でいたり、

何事も起きないことさえ、

感謝に当たる。


なにもしなければ、「当たり前」と、

思った事を、

「当たり前ではない。」

「奇跡✨」

「感謝✨」と変わる。


「苦労」すればする程、

「器」は、広がる。


「器が大きい」とは、

いろいろな経験を沢山して

自分以外の気持ちが分かり、

起きる現象全てに、喜びと感謝ですごせる。


天気が雨なこと。

お金がないこと。

人が集まらないこと。

いま現状では、赤字なこと。

これに優劣はなく、

どんな状況であれ、

起きている現状全てが有り難いんだと。

思えるようになる。

上手くいけば、有難い。

上手く行かなくても、有難い。

起きること全てが愛おしく、

体験できることが喜びで満ちる。


お金でなく、人の数ではなく、

とにかく体験できて、経験値が積める。

「有難い」。「感謝する」。とは、

貴重な経験を言うのだと思う。


今日の思った事。