”ずっと麻央は、きっと皆様のそばにもいると思う””『愛している』と言って旅立ちました”。フリーキャスターの小林麻央さんが亡くなったことを受け都内で会見を開いた夫で歌舞伎俳優の市川海老蔵さん(39)は涙ながらに語っていました。梨園の妻として夫を支え、闘病ブログの筆者としてがんの患者たちを励ました麻央さん市川ファミリーのヒロインだった麻央さんの悲報は日本中を駆け巡りました。さて話はコロッとかわりますがテリーゴウ?と言われたってピ

 

ンとこないかもわかりませんが名門シャープを買収していち早く一部上場にカンバックさせた人物といえば思い出す方もいらっしゃると思います。「郭台銘(かくたいめい)台湾の実業家。鴻 海精密
工業(鴻海精密工業有限公司)、現鴻海グループを所有する山西省をルーツに持つ外省人である。日本でも英語名のテリー・ゴウで呼ばれることがある。富豪として知られ、2013年の番付によると台湾で第4番目の富豪。1950年台湾生まれ。1974年、24歳の頃に投

 

資資本額30万台湾元を集めて「鴻海プラスチック企業有限公司」を設立し、プラスチック製品の製造・加工を始めた。町工場から現在(2015年)では売り上げ15兆円、従業員は世界で130万人の巨大産業に成長した」あるHPをパクったものですが精力的に活動したのは事業面だけではなく女性関係派手な話題を提供したことのある羨ましい御仁です。中国では古来、身内で固めるという文化

が一般的ですがこの御仁は人たらしの名人と噂をされるほど、

 

ヘッドハンティングの達人で企業だけでなく人材もハンティングすることで名をなした人物なんですな。それに無類の親孝行といわれ年老いたお母さんが日本の桜をみたいという願いをかなえるため医師や看護師などを専用機で引き連れてアラビアンナイトの王さまのような専用の乗降リフトを積んできたかどうかわかりませんが母親の感涙の姿をみて泣いたというぐらいメリハリのある、人物なんです。名門シャープが強奪されたときに身も心もボロボロにさ

 

れ日本の技が世界に流出すると大騒ぎをしたジャーナリストもありましたが公約通り一流企業の証である一部上場に復帰するという朗報にホッとしますな。ねえ二軍落ちの東芝さん。あたしゃ、テリーゴウ氏と縁も所縁もありませんが額の広く、やけくそみたいなパフ

ォーマンスでお縄になって、野党やマスコミからも見放されつつある籠池氏とよく似た顔だという印象がありますが幽霊の正体見たり枯れ尾花みたいですなあ、昭恵夫人。

  カゴイケ ト ニテイルアルカ? オレノホウガ オトコマエ 

  アルヨ   郭台銘・テリーゴー  

            アナタ オトコマエ アルヨ ぐっさんハイ

私の息子はいまはテロが横行するパキスタンで、パキスタン、バングラデシュ、インドそれにフィリピンなどのスタッフと公共事業に汗を流しています帰国したときに”言葉が違い異文化の連中とよく仕事ができるな”と話をしたらニヤッとしながら”そりゃ、お互いに分かり合わないと仕事ができないから、神経を集中させて相手の話を聞こうとするからさ”と言っていました。そういえばブルネイだったと思いますが夜中、現場の宿舎から電話があって”トラブっているから、ちょっと来てくれ”と言われて飛び出して行き、しばらくして何事


もなかったようにベッドにはいっていました。私には窺い知れない何かがあるんでしょうね。私も出稼ぎ先ではマレーシア、インドそれに中国系の華僑が仲間でしたがコミュニケーションをとるのに神経を遣いました。で、私は共通語の英語をマスターするために仕事がはじまるまえに日本語教室をやることにしました。社長が講師ということで最初は茶坊主(忖度)するのも多かったので
すが、段々少なくなっていきました。面白かったのは屋台や仕立て屋のおやじが紛れ込んでいたんです。英語と日本語のバーターで

 

すから私にはとっても役に立ちました。副産物として私のキャラクターも丸裸になりましたからプライベートな付き合いも多くなって”オーさん”と声をかけられるようになったのはよかったと思いました。窮すれば知恵が働くなんて格好いいことではありませんが、懸命に何かに突き進もうとするときには知恵が工夫が生まれてくるということを体験しました。寂しいことに最近は海を越えて冒険しようというヤングが少なくなってきているそうですね。外国の辺境地でロケなんかやると便所なんかありませんし、あってもドアがな

 

いところが一杯あって女優なんか、それがイヤで尻込みをするんだそうですが、サラメシのナレーターである中井貴一が日本に帰ってきて水道の蛇口をひねったら飲める水がジャンジャン出てきて、思わず涙が出てきたと語っていましたが最近のマスコミが重箱の隅を突くようなを報道でイや~な気分にさせられる日本は、つまらない国だと思っていらっしゃる方も多いと思いますが機会をつくって是非、海外の世相を実感されたらと思います。アッ、悠々と道路を横断されている、あなた。貧困国で高級車に跳ね飛ばされないようにお気をつけ遊ばせ。

 もう15年になりますが息子が出稼ぎ先の東ティモールから”いま
 独立を祝って、国中が大騒ぎの真っ最中だ!”と興奮しながら電

 話してきたことがあります。平和ボケしていた私は”いまパンパン

 と音がしているのは花火を打ち上げているのか”と言いましたら

 銃を発砲している音だと言ったことを思い出してしまいました。

                  ジパングいいとこ    ぐっさんハイ  

横綱白鵬が前人未到の1050勝を達成しました。1047勝で元大関の魁皇(現浅香山親方)、1045勝の元横綱・千代の富士の記録を弱冠32歳での到達は浅香山親方の37歳、千代の富士の34歳を上回る快挙でした。ここで思い浮かべるのは前人未到の大記録に挑み続けるイチロー選の”とんでもないところへ行くには小さいことの積み重ねしかない”という名言です。あたしゃ、イチロー選手はピートロー

 

ズがつくった記録(4256本)を破ることを本気で考えているような気がしてなりません。さて白鵬は大相撲が八百長相撲や賭博問題で存続が危ぶまれているときにひとり横綱として大相撲の看板をしっかりと支えた第一人者でもありました。白鵬が5歳になったばかりの1990年春場所、千代の富士が豪快なすくい投げで史上初の1000勝を達成したその
映像をビデオで研究したという白鵬は自身の記録も尊敬する

 

千代の富士と同じ投げ技で決めるつもりだったといいます。白鵬は15歳になった2000年、モンゴル出身の先輩・旭鷲山(元小結)のツテを頼りに大相撲志望者6人とともに来日。2ヶ月の滞在期間中に同僚がつぎつぎに受け入れ先が決まっていくなか身長175センチ体重68キロの白鵬だけが決まらず、あきらめて帰国することに。帰国前日、旭鷲山が悔し涙を流す白鵬を見かねて師匠の大島親方(元大関・旭国)に

 

掛け合い、一門の宮城野親方(元前頭・竹葉山)に打診してもらったところ何とか受け入れが決まった。もし最後の1日に旭鷲山が大山親方に相談していなかったら、もし大山親方が電話をしていなかったら、もし宮城野親方が電話に出なかったら、もし電話に出ても背の低くソッポ形がから無理だと断られたらと、もしもし亀よ亀さんよみたいになりますが、今日の大横綱・白鵬は生まれていなかった。という運やツキが

 

ひとの運命を左右するというお話でした。ヤング諸君、一度や2度の、つまずきで俺はだめだと思ったら本人が否定するわけだから運もツキも逃げてしまうわね。自分の才覚や能力を磨きながら周囲に知らしめる努力というか粘りも必要だってえことを大横綱・白鳳は教えてくらたんななあ。それにしても元大関の魁皇は”すごい、まだ通過点でしょう。横綱は違う。私とは比べるもんじゃない。忘れられた頃に自分の名
前が出てありがたいこと”とあくまでも謙虚なコメントも光りましたね。

 
 大相撲解説の北の富士さんが感想を求められ”あたしなん

 か恥ずかしくてコメントできないよ、とにかく現役のなか

 で一番稽古するんだから、大したものだ”と浅香山親方と

 同じ口調で謙譲の美徳を発揮していました。いいですねえ

 大相撲の世界は。どこかの業界も見習っては。

                     ぐっさんハイ