自覚症状は全くなかったし微熱は続いたのですが医師が言
うには”肺炎の一歩手前の状態です。治験を中断して肺炎
の治療を行います”と言われ治療に入りました。体温も7
度ちょっと、熱っぽいという状態で病棟中を歩き回ってい

たのですが、中止を余儀なくされました。年寄りは熱が

あまり出ないということを体験ました。食欲も落ちてたち

 

まち病人になってしまいました。体力が衰えていますから

なかなか治りません。やっと小康状態になったと思いまし

たら自宅療養となり体力の復帰を待って治験の再治療とな

りました。家に帰って、かみさんの伴走の元、団地内を歩

行して脚力つまり体力をつけるべく毎日、日課として継続

 

しました。ところが検査しましたら帯状疱疹が出てその治

療のための入院となりました。なんでも帯状疱疹というの

は普段、誰でもその菌は持っているそうですが体力が弱っ

ていると病状が現れるんだそうですね。医師が言うには、

体力がないのに無理をして歩いたことが裏目に出たと診断

され化学療法の難しさを実感しました。

 帯状疱疹は伝染病で食事から風呂などお世話頂く
 方も決まった人でした。 出前屋 ぐっさんハイ

 

科学療法の苦しさは、我らのホープ、池江さんが”10倍
100倍いや1000倍も苦しい”と
吐露したように薬の
痛みだけでなくいろんな副作用に悩まされ体調が崩れて、
下手すりゃあ死に至るという厳しい治療なんです。池江さ
んは年が若く体力があって免疫力も大きいので完治される

と思います。A病院で入退院を繰り替えしながら苦闘した
思いで新薬の投与を受けましたが、B病院ではさほどダメ
ージは受けないように思われました。調子抜けするぐらい
体調はいいように思えました。私はいつもそうですがベッ
ドと仲良しになると病人になってしまうという思いがあり
ますので毎日、病棟を歩き回っては体力の維持に努めまし

た。塩気のない病院食など一番に遠慮したくなるような薄
味でしたから、かみさんに頼んで手つくりのおかずを差し
入れしてそれを呼び水に病院食を描き込みました。快適な
入院生活を満喫していました。ところが免疫力が低下して
自覚症状がないまま微熱が続いて意外な病名を知らされて
しまいました。

 マイペースも年と相談してやるべし ぐっさんハイ

 

A病院で”やれることはすべてやりました。しかし今の、
医療ではあなたの腫瘍を消滅するこうとはできません。ホ
スピスの病院を紹介しますから紹介状と病歴のCDを持っ
て訪ねてみてください”と絶望の淵から突き落とされるよ
うな宣告をされて退院することになりました。一度、紹介
されたホスピスを偵察に出かけました。一見客みたいな感

じで訪問しましたので医師は不在で看護士が”あいにく満
室で病室はご覧頂けません”と言いながら院内を案内して
くれました。するとしばらくして”電話を頂いた翌日、患
者さんが亡くなりその部屋だったらご覧頂けます”と言う
じゃないですか。ホスピスの典型的なアクシデントの中、
病室をみせて頂き暗い気持ちのまま病院をあとにしました

絶望と恐怖が私を襲いました。かみさんは気分を変えるよ
うに”パパが好きなお寿司でも食べに行こう”と言いまし
た。暗澹たる気持ちはビデオや音楽を聴いても変わりませ
ん。しかし宿敵の腫瘍は大きくなって便通もストップして
しまいました。死を意識しました。ホスピスに行かねばな
らないと腹を決めたとき電話がけたたましく鳴りました。

  死の宣告をされ全てが灰色になった ぐっさんハイ

 

*今日ダブって出前しましたので金曜日はお休みにします