薬剤師さんが相談相手になって担当医は影が薄いような誤解を与え
たかも分かりませんが主役はなんと言っても主治医でした。病室に
着いて、腹部が破裂しそうになった私のまえに現れたのは背が高く
痩せぎすの先生でした。担当の看護師に年を聞いたら36歳と教え
てくれました。正直、大丈夫かなと思いました。腰が低くて物腰が
柔らかく若年のせいかと思いましたが性格のようでした。僅かな時
間があればイタチみたいに様子を見に来るのには感心しました。
だからといって医師としての技量は未知数です。しかしある出来事
から少しずつ見直していくことなっていきました。それは化学療法
には欠くことが出来ないカテーテル(人工の管)を心臓の近くまで
挿入して効果的に抗がん剤を拡散させるんです。腕から挿入するの
ですが私の血管は細いうえに奥歯っていますから大変なんです中々
はいらず、はいっても心臓近くに到達させるのが難事なんです。治
療の回数がふえるごとに腕から挿入する作業は薬の弊害も加わって
血管が硬くなって、最終コースでのことでしたが、もう腕から点滴
を行う場所がないというんです。つまり何度も同じところに差し込
むと血管が萎縮して注射針を通さなくなってきたんです。で、いよ
いよ首から点滴かと諦めかけそうになりましたが、蚊の泣くような
声で”先生もう一度だけトライして下さい”と懇願しました。そう
して6度目の作業が始まりました。”大丈夫ですか”と先生の声だ
けが響き治療室は沈黙が続きました。しばらくすると”やった!”
という声と歓声が上がりました。その声は担当医の評判を聞いて見
学に来た医師たちの驚嘆の声でした。今回の治療は外科医と異なり
抗がん剤を使って腫瘍を駆除するものでカテーテルを挿入するとか
化学薬品の調合に技量を発揮するということになります。しかも、
薬品任せという靴の裏から足を掻くみたいな、じれったい施術なん
です。ですから外科みたいに完治とは言わずに「緩解(かんかい)
」と聞き慣れない表現で診断されピンときませんでした。まあそん
なこんなで、段々、自分の肉親を診るような姿勢を感じるようにな
り、私の病症は症例が少ないため、夜遅くまで他方からの情報収集
をしたり薬の調合に苦心しているということを耳にして、素晴らし
い先生に巡りあったと思いました。さて、最終回の治療が終了して
PET検査結果の映像をみた先生が目を輝かせながら飛び込んで来て
”消えましたよ、腫瘍が!”と医者らしくない慌てようで叫ぶよう
に言いました。夢心地というか、遠くで先生の弾んだ声が聞こえた
ようでした。私たちも食い入るように画像をみました。かみさんと
私は涙で映像が霞んでしまいました。その画面をみながら、かみさ
んが”何度か先生に呼ばれて危ないとか厳しいって言われたのよ”
と思いがけないことを口にしていました。そうして先生が私に向か
って”失礼ですが、あなたの年でここまで頑張った人は初めてです
点滴を抱えながら院内を歩き回ったのには驚きました”と褒めてい
ただきました。36歳と思っていたのが実際は31歳だと聞かされた
先生は私の退院と同時に現場を離れて大学病院の研究室でマウスを
相手に研究を重ねて7年後には血液関連のエースとして現場の医師
を指導するポストに栄転するというサプライズを聞かされて、いわ
ば九大の将来のエースにお世話になった幸運を噛みしめています。
思えば感染症にかからないようにと手洗いから、いろはを教えてい
ただいた息子のような先生と巡り会えて最初は不安で一杯でしたが
治療開始、いやその前からイタチのように顔を出して私の状態を細
かく観察していた思慮深い名医に感謝、感謝です。
長時間お付き合いいただきありがとうございました。こんな
いやな話は早く削除してください。なお今回はゲンを担いで
入院日記は最終回とさせていただき再入院はしないことに決
めました 最近は社交ダンスも再開した ぐっさんハイ!
たかも分かりませんが主役はなんと言っても主治医でした。病室に
着いて、腹部が破裂しそうになった私のまえに現れたのは背が高く
痩せぎすの先生でした。担当の看護師に年を聞いたら36歳と教え
てくれました。正直、大丈夫かなと思いました。腰が低くて物腰が
柔らかく若年のせいかと思いましたが性格のようでした。僅かな時
間があればイタチみたいに様子を見に来るのには感心しました。
だからといって医師としての技量は未知数です。しかしある出来事
から少しずつ見直していくことなっていきました。それは化学療法
には欠くことが出来ないカテーテル(人工の管)を心臓の近くまで
挿入して効果的に抗がん剤を拡散させるんです。腕から挿入するの
ですが私の血管は細いうえに奥歯っていますから大変なんです中々
はいらず、はいっても心臓近くに到達させるのが難事なんです。治
療の回数がふえるごとに腕から挿入する作業は薬の弊害も加わって
血管が硬くなって、最終コースでのことでしたが、もう腕から点滴
を行う場所がないというんです。つまり何度も同じところに差し込
むと血管が萎縮して注射針を通さなくなってきたんです。で、いよ
いよ首から点滴かと諦めかけそうになりましたが、蚊の泣くような
声で”先生もう一度だけトライして下さい”と懇願しました。そう
して6度目の作業が始まりました。”大丈夫ですか”と先生の声だ
けが響き治療室は沈黙が続きました。しばらくすると”やった!”
という声と歓声が上がりました。その声は担当医の評判を聞いて見
学に来た医師たちの驚嘆の声でした。今回の治療は外科医と異なり
抗がん剤を使って腫瘍を駆除するものでカテーテルを挿入するとか
化学薬品の調合に技量を発揮するということになります。しかも、
薬品任せという靴の裏から足を掻くみたいな、じれったい施術なん
です。ですから外科みたいに完治とは言わずに「緩解(かんかい)
」と聞き慣れない表現で診断されピンときませんでした。まあそん
なこんなで、段々、自分の肉親を診るような姿勢を感じるようにな
り、私の病症は症例が少ないため、夜遅くまで他方からの情報収集
をしたり薬の調合に苦心しているということを耳にして、素晴らし
い先生に巡りあったと思いました。さて、最終回の治療が終了して
PET検査結果の映像をみた先生が目を輝かせながら飛び込んで来て
”消えましたよ、腫瘍が!”と医者らしくない慌てようで叫ぶよう
に言いました。夢心地というか、遠くで先生の弾んだ声が聞こえた
ようでした。私たちも食い入るように画像をみました。かみさんと
私は涙で映像が霞んでしまいました。その画面をみながら、かみさ
んが”何度か先生に呼ばれて危ないとか厳しいって言われたのよ”
と思いがけないことを口にしていました。そうして先生が私に向か
って”失礼ですが、あなたの年でここまで頑張った人は初めてです
点滴を抱えながら院内を歩き回ったのには驚きました”と褒めてい
ただきました。36歳と思っていたのが実際は31歳だと聞かされた
先生は私の退院と同時に現場を離れて大学病院の研究室でマウスを
相手に研究を重ねて7年後には血液関連のエースとして現場の医師
を指導するポストに栄転するというサプライズを聞かされて、いわ
ば九大の将来のエースにお世話になった幸運を噛みしめています。
思えば感染症にかからないようにと手洗いから、いろはを教えてい
ただいた息子のような先生と巡り会えて最初は不安で一杯でしたが
治療開始、いやその前からイタチのように顔を出して私の状態を細
かく観察していた思慮深い名医に感謝、感謝です。
長時間お付き合いいただきありがとうございました。こんな
いやな話は早く削除してください。なお今回はゲンを担いで
入院日記は最終回とさせていただき再入院はしないことに決
めました 最近は社交ダンスも再開した ぐっさんハイ!