バスでシンガポールに入国するんですが帰国するときの荷物は税関の、
チェックを受けなければなりませんので持ち運びが大変です。そのまえ
に入管で入国の検査があります。私が先にチェックを受けました。あと
に続いたふたりがなかなか出てきません。なにかトラブったのかと心配
になりました。ふたりのラインだけがストップしています。随分、時間
が経って出てきました。ふたりはニコニコしています。”どうしたんだ
”と勢い込んで聞きましたら”いえね、入国カードに記載している生年

月日を見ながら本人が違いすぎるとパスポートの写真を何度も見比べな
がら確かめられたの。連れの娘も若すぎると確かめられた”と嬉しそう
に言うじゃありませんか。彼女たちにはことのほかシンガポールに好意
を持ったようでした。シンガポールではジョーホーバルで下車したガイ
ドに替わって肌の白いふくよかな男性が乗車して”これから私がシンガ
ポールを案内します。名前はヤンヤンと言います”と手短に紹介して、
世界遺産である植物園に直行しました。東南アジアに出稼ぎをしたとき

の最初の住まいの近くで子供たちが日本人学校に通っていたころを思い
出しました。私はバスに残ってマレーシアから、ここまで我々を運んで
きたドライバーと立ち話をして過ごしました。彼の話によると車の乗り
入れは自由ですがガイドはジョホールバルから電車かバスでクアラルン
プールにその日のうちにトンボ帰り、ドライバーも我々を空港まで運ん
だ日に帰還するそうです。距離にして400キロ、走行時間は6時間、か
なり過酷な仕事だと思いました。そういえば運行中は安全運転を会社か

ら厳命されているのか110キロの制限速度のところ100キロで走行して次
々と後続車に抜かれていました。インド系で大声でまくしたてる男でし
た。バスに戻ってきたかみさんが”今度のガイドってちょっとヘンじゃ
ない?”と私に囁くんです。”みんなもガイドさんは女じゃないかって
噂をしているのよ”と続けます。そういえば声も女性らしい音声で胸や
腰回りもふっくらして男装の女性らしいのです。こちらのひとは不躾に
聞くんでしょうが日本人はただ黙って好奇の目で見つめる文化の国です
から最後までわからないままでした

    内弁慶というか明解に発信しないジパング文化が
    色濃く出ていた海外旅行でした。 ぐっさんハイ

マレーシア第二の都市ジョホーバルでちょっとした日馬の文化の違いが
火花を散らしました。と言いますのは夕食でスチームボードのメニュー
の具として、なにやら怪しげな貝が出てきたんです。ボイルされたはず
の貝が閉じているんです。客のひとりがガイドに向かって”こんなもの
は食べられない”といったんです。するとガイドがなにやらマレー語で
宿のスタッフに言いましたら、声を荒げながら”ここはマレーシアだ!
みんな貝は手で開けて食べるんだ!”と言い返しガイドは手を広げなが

ら仕方ないというゼスチャーをしました。そこで私はスタップに”そう
だ、ここはマレーシアだよね、マレーシアでは正論だよ。でもね、日本
ではボイルされ貝が煮詰まって開いてから食べる習慣なんだ、しかも客
は日本人なんだから要望に応えないと日本からの客は来なくなりサラリ
ーアップしないよ”と言いましたが、怒りが収まらないタップはいなく
なりました。食事を中断した客も姿を消しました。私は出稼ぎ中のこと
が頭をよぎりました。そういえば伴走中のガイドが”ガイドに説明して

といったらチップとして2000円とられたと日本に帰って会社に文句
をいうときには、20万円とられたと大げさに言う客がいる”と毒付い
ていましたが
ウキウキムードをぶち壊すような後味の悪い事件でした。
ガイドといえば怪しげな日本語を連発しますがご愛敬で、笑ってしまっ
たのは盛んに”生年月日が古いものがありますから注意してください”
と言うんです。生年月日?つまり賞味期限のことを言ったんですが確か
に物が誕生したら生年月日ですよね、
言い得て妙の言葉だと思いました

明日は、いよいよシンガポールへ向かうということになりました。シンガポール

では入国の時にタバコとガムは見つかったら没収か罰金が科せられると脅さ

れました。因みにたばこは1箱800円もぼったくられるそうです。団体旅行だ

からみなさんに迷惑が掛かると日本文化にふれるような文句で諫められまし

た。因みに週末ともなればシンガポールから大挙押しかけて買い物ラッシュに

なるとホテルのスタッフが教えてくれました。かみさんも調味料などの調達に、

余念がありませんでした。

    隣国と2倍近くも通貨が違う、海に囲まれた日本では
    考えられない国境の街ジョホールバル ぐっさんハイ

さて、今回の旅の目的は苦楽を共にした仲間と乾杯をすることでした。
宿泊していたホテルに電話がありロビーに行きましたら働き盛りの男性
と奥さんらしき女性が立っていました。独立し今や実業家として活躍中
の仲間のひとりでした。思わず男性にハグをしてしまいました。高級車
に乗り込んで昔話に花が咲きました、といえば聞こえがいいのですが昔
のように出迎えた男性の一方的な話を耳にしながら時々、合槌を打つよ
うな会話?でみんなが待っている中華料理屋に急ぎました。会場には、

何百人という大勢のひとで一杯でした、こんなに大勢呼んでくれたのか
と思いながら進みますと奥ばった席に10人ほどのひとが一斉に立ち上が
って拍手をします。一見、老人クラブの宴席ではと思うぐらい年配の集
団でした。よく顔ぶれを見ましたら苦楽を共にした仲間たちでした。私
は一人ひとりとハグをしながら持参した土産を手渡して再会を喜び合い
ました。持参した九州の焼酎で高らかに”チェアス”と叫んで流し込み
ました。そうして仲間たちが思い思いに昔話を語りはじめました。一人

だけ日本に留学した男性が通訳をしてくれます。しかし不思議ですね、
所帯を持って回線が繋がって以心伝心状態になったように彼らとも阿吽
の呼吸といいますか苦心しながら会話をした状態に瞬時になるんですね
え。話が弾んでまいりましたら、隣の大勢の宴席では新婚のカップルが
中国語で、なにやらしゃべっていました。隣りは結婚式でした。昔と違
って300人ぐらいとこじんまりした宴席でした。当時いただいた懐か
しい料理が次々に運ばれてきます。私が好んで食べたメニューばかりで

す。嬉しくて涙が出てきました。宴が終わるころ私の隣に座っていた出
迎えた男性が”ふたりが好物だったドリアンを食べに行きましょう”と
囁きます。確かこの果物は7月か8月が旬だと思っていましたが、この
時期に、ある特別な場所で食することができると言うんです。東南アジ
ア入門のときに先輩からドリアンを食べずしてアジアは語れずと脅され
て散々苦労しながら食べ始めた果物の王さまなんですが帰国するころに
は残りのひとつをかみさんと奪い合うぐらいにハマってしまいました。

   同窓会のあと、私がお世話になっていたころ
幸運にも
   
借家住まいから自前の社屋になったところに連行され
   て泣きじゃくった。         ぐっさんハイ