こんばんは
今日はお不動様の日でお参りへ行きました。
それで、ブログを書く時間がこの時間に。。。
むかしむかし、2,500年前
お釈迦様は言いました。
「人生は苦に見ていている。」=「苦諦=くたい」
苦諦というそうです。
その苦の根源は「執着」 ガ~ン!
執着することだそうです。
なんとなく心当たりが。。。。
執着。。。集めると言う字を書いて「集諦=じったい」と言うそうです。
この根源である執着をなくすことで、
人間は悩み、苦しみから救われるのか?
そのように考えた悟りを「滅諦=めったい」といい、
滅 すれば、楽になる?苦しみが滅する?と言う考え方。
そして、
執着することを滅していく、
それを日常的に一つずつ滅することを実践する行う。
そのことを「道=どう」と言うそうで。
心に浮かぶ様々な執着を手放していく行為を行うことを
「道諦=どうたい」と言うそうです。
「苦、集、滅、道」=この四つの悟りを「四諦=したい」と言うそうで
般若心経のなかに、
「無苦集滅道」というお経があります。
又、苦と言われるものは
お釈迦様によると
「生、老、病、死」の四つの苦(四苦)と
1,「愛別離苦」2,「怨憎会苦」3,「求不得苦」4,「五蘊盛苦」の四つの苦 (合せて八苦)
これを
「四苦八苦」と言うそうです。
(四苦八苦と言う言葉はここから来たものなのですね。)
「生、老、病、死」は自分の意志では変えられないもので宿命。
あとの4っは 「運命」
自分の日常生活で生じることで変える事が出来ること。
そして、
1「愛別離苦=あいべつりく」とは、
愛している人と別れなければならない苦しみ。
2,「怨憎会苦=おんぞうえく」とは、
怨んで憎んでいる人と会わなければならない苦しみ。
3,「求不得=ぐふとくく」とは、
求めても得られない苦しみ。
4,「五蘊盛苦=ごうんじょうく」とは、
五蘊があまりにも盛んに働き過ぎているが故に
苦しいという苦しみのこと。
*五蘊とは般若心経のなかにあるのですが
色、受、想、行、識 と言う、感覚のレベルのことだそうで
「色」とは形ある物、人の姿形も「色」
それを感じて受けとめたことが「受」
「受」受けとめた結果、何か想いが生じた。 これが「想」
想いの結果、自分の体が動いて、何か行為、行動が行った。「行」
それが、どういう形で収ったかという認識を
頭に中に入れ込んだのが「識」というものだそうです。
ある物をみて、確認(色)して、何かを思って(受)
それを⚪⚪したい(想)と
行動(行)して、結果(識)
ラピスちゃん(色)をみて、可愛い!(受)って思い
抱きしめたい(想)と想って
抱きしめた(行)、その結果、ラピスちゃんが顔をなめてきた。(識)
という事らしい。
早い話、
苦の本質は
「自分が思い通りにしたいことが、それがかなわないこと」
という事のようです。
他者はじぶんの思い通りにいかにものですから、
そのことに、執着しすぎると苦しいので
なるようになると
手放すことが重要ですよね~。。。
そいうことで、
今日は、般若心経に出てくる言葉を少し見てみました~