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\(-o-)/バンザーイ!!!!

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施餓鬼供養とは

今頃は便利なもので

パソコンやスマホでネットで調べるとすぐに答えが出てくる。

 

26日の日曜日はお瀧でお世話になっているお寺さんで『施餓鬼法要』があり、

お参りをさせて頂いた。

 

施餓鬼 - Wikipedia

 

『Wikipedia』で施餓鬼についてすぐに調べれるのだけれど、

 

お寺でお坊様がお話下さったお話に私は心が動かされたので、

そのお話を書こうと思う。

 

その昔、お釈迦さまのおもとで修業をされていた、十大弟子のおひとりの目連尊者様は

すごい神通力の持ち主で、その目連尊者様は、亡くなられた恋しいお母様は

ご自身にとても優しく良い母だったので、きっとあの世では天界で幸せに

お過ごしだろうと思いそのご様子を見ようとある日、神通力を使いお母様のご様子を見た。

 

(因みに、仏教では六道の世界と言う観念があり、

(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天)の六つの世界がある)

神通力で、お母様を天界に探したが、見当たらない

あれほど良いお母様だったから、ほかの世界にいるはずはないと

思いながらも他の世界を探してみた。

 

そうしたら、驚いたことに、お母様は『餓鬼』の世におられ、

そのお姿は、

やせ細り、眼はむき出し、骸骨のようになり、喉と言えば、

針さえも通らないのではないだろうかと思うほど細く

生前のお姿はどこにもなく

可愛そうになり、あらゆる食べ物を差し出すが、

ことごとく、炎となり、お母様の口へは入らない、

それで、飲み物ならと、水を差しだすが、

これも一瞬のうちに、燃えて蒸気となりお母様へ届かない。

 

悲しく、困ってしまった目連尊者さまは

お釈迦様にどうしたら、母に食べ物を届け口にして頂くことができ、

母が救われるのか教えてくださいと懇願する。

そうしたら、お釈迦様が、その方法をお説きになり、

目連尊者様はお母様に為だけでなく、

餓鬼で苦しんでいる死者のために法要をされることとなったというお話。

 

また、

不空訳『救抜焔口陀羅尼経』と言うお経本にあるお話で

釈迦仏の十大弟子で多聞第一と称される阿難尊者(あなんそんじゃ)さまがある日、

静かな場所で坐禅瞑想していると、焔口(えんく)という餓鬼が現れた。

痩せ衰えて喉は細く口から火を吐き、髪は乱れ目は奥で光る醜い餓鬼で、

その餓鬼が阿難尊者様に向かって

『お前は三日後に死んで、私のように醜い餓鬼に生まれ変わるだろう』と言った。

驚いた阿難尊者さまは、どうしたらその苦難を逃れられるかと餓鬼に問うと。

餓鬼は『それにはわれら餓鬼道にいる苦の衆生、あらゆる困苦の衆生に対して

飲食を施し、仏・法・僧の三宝を供養すれば、(三宝=仏法僧のこと)

汝の寿命はのび、我も又苦難を脱することができるだろう』と言ったという。

しかしそのようなたくさんの供物を用意する金銭がない阿難尊者さまは、

お釈迦様に助けを求められた

 

お釈迦様は『観世音菩薩の秘呪を阿難尊者様に教えをといて。

一器の食物をお供えし、

この『加持飲食陀羅尼」』(かじおんじきだらに)を唱えて加持すれば、

その食べ物は無量の食物となり、一切の餓鬼は充分に空腹を満たされ、

無量無数の苦難を救い、

施主は寿命が延長し、その功徳により仏道を証得することができる』と

阿難尊者さまに教えを説かれた。

阿難尊者様は早速その教えの通りに供物にお経をとなえお供えし、

ご自身の生命もさることながら

たくさんの餓鬼を救うことができた。と言うお話

これが施餓鬼の起源とされているらしい。

 

 

私は、このお話をお聞きして、

ま~大変!!!!

我が家のご先祖様は大丈夫かしら?と心配になった。

生前私のそばで私を癒してくれていた動物たち、ラピスはどうかしら?

ご縁のあった方々は大丈夫かしら、?と

折角の供物も口にできず、炎や蒸気になり、

のどの渇きを覚え悲しんでいないかしら

苦しんでいないかしら?

餓鬼とは地獄・餓鬼・畜生という三悪趣(さんあくしゅ)の一つで、
飢えと渇きに苦しむものをいい、地下深いところに住むといわれていて。
水を見つけても血膿となって飲むこともできず、
喉が針のように細いので食べ物を腹一杯食べることもできず、
食べた物が口の中で火となって燃え、

結局食べることができずに苦しんでいるらしい。

 

そのようなお話をお聞きする機会を頂いて

早速私もご先祖様が苦しまないように、

私を癒し、可愛がってきたペットたちは勿論

ご縁のあった方々のためにも

施餓鬼法要させて頂かなきゃ...。ということで

有難くお参りさせて頂きました。

 

さて、この施餓鬼

餓鬼畜生という言葉はよく耳にしますが

この餓鬼とはあの世のお話だけでなく

現在生きている私たちにもありますよね。

物欲、食欲、我欲、欲欲、欲、欲欲にまみれている

日頃の生活を見直すこともにもつながりますよね。

 

私ほど愚かで、欲深いものはいないと思います。恥ずかしい限り

 

食べ物だけでなく、見たもの何でも欲しがるとか

必要上にものを欲しがるとかね

 

幼い頃、祖母が何気なく教えてくれていました。

欲深いことは、しないようにと

なので、

私は必要なものは神様がくださる。

手に入らぬ時は、必要でないものなのだと考えていますが

 

それでも、物に溢れた現在、欲深い自分に反省をしてしまうのですよ。

 

食べ過ぎてお腹が破裂しそうな時や

甘いもの食べだしたら止まらないとか

 

ほどほど、腹八分目に収まらないときは反省なのです。

なんでも、もっと、もっとほしいと思わないことも教えですよね。

 

餓鬼畜生に生き乍らならぬように、

地獄、餓鬼、畜生のような生き方はしないように。

 

世界は何故か、今 修羅の道を選んでいる国が多いように思います。

今年は、新型コロナウイルスでテロの話を耳にすることも少なくなりましたが

これぞ、修羅の道。

争いは良くないですよね。

お互いに分け合い、助け合う心が大切。

人は苦しんでいる人や、悲しんでいる人、

困っている人には優しくできるはずなのに

いざ、自分がその渦に入り込んだら

修羅の道に入り、餓鬼畜生に劣らぬ行為をし、地獄を自ら作り出す。

愚かなことです。そのようにならぬように生きていかなくてはと

自分の生き方を振り返ることができた

施餓鬼法要でした。

 

因みに、私がお世話になっているお寺では

毎週土曜日のお昼ごはん一食分を寄付しませんか?ということをされていて

わたしは長年それをさせて頂きているのですが、

今思えばそれも、

この施餓鬼につながるのだなと、いまさらながら気づいたのでした。

 

もちろん、一食分寄付に参加されたい方はご一緒にどうぞ。

毎月の土曜日分をまとめて納めています。因みに一食分=400円の計算ですが

施餓鬼につながるといいな~なんてね