人は、迷う

右が良いのか左が良いのか?

この仕事が、自分の仕事として正解なのか?否か?

 

どちらが正しいのか?

決めた道はこれでよかったのかどうか?

 

迷い悩み、どっちつかずで歩いていく。

その結果、思うようにならないと嘆く。

 

迷わずに道を定めて歩く人もいる。

その違いは何なのだろうか?

 

そこには、潔さ、腹をくくる決断 迷いや逃げる理由を持たない人

決めた道しかないのだからと、ただ突き進む勇気

わき目を振らず、とにかく歩く気力

自分の決断を信じ切る気力が、あるか、ないか。

そういうことではないだろうか?

 

迷ったときに、様々な逃げ道の言い訳を探す。

 

何でも、するか!しないか?!のどちらかしかないのだ

経済がとか、誰それがとか、自己防衛とも思える言い訳をさがす。

そして何年も何年も迷い子になる

 

その結果、不幸だと思う結果が待ち受けていたり、

思うような結果が得られなかったり、

ずっと、迷い子。

 

迷いながら歩くから、迷い子になる。

 

腹を決めて、自分の幸せのために必死で歩く

お金や経済のことより、自分の幸せを第一に考えて。

 

家族のためにとか、みんなのためにとか

それは言い訳

 

みんなのために良かれと考えているのは、最終的には自分のエゴ

自分が望んでいるからだ

誰のためでもない

すべて自分のためだ

誰かの幸せを見ていると自分がほっとするからだ。

自分の不安を消すためだ

 

腹を据えて、自分の望みを見定めて

がむしゃらに歩く

 

そうすればおのずと幸せは手に入る。お金も手に入る。

疑いながら歩いても、疑いの結果しか手に入らないのは当たり前ではないか?

 

同じ風景を歩いても、

楽しんであるくのと

先の不安を案じてばかり歩くのでは大きく違う

 

今を楽しまずして 先に楽しみがあるのかしら?

 

私は、私のために

私の周りにいる人の笑顔をみたいから

今の仕事をしている。

それは誰のためでもなく

自己を喜ばせる、満足のためだ

その結果が仕事として依頼を頂いている。

 

本当は仕事とは、そうあるべきなのではないだろうか?

 

働くというのとは違う。

働くのは

人の為(傍。はた)のために動くことだから、働く

傍の人の分動くこと

 

今日生きているのも自分の為。

自分が満足できずして、人を喜ばせることができるのかしらと思う。

自分の笑顔が人へ伝染する

自分を笑顔にさせておいてこそ、

自分の家族にも笑顔を伝染できるともうから

 

今日も自己を満足させるために、人様を笑顔にすることに精を出す。

 

迷い過ぎたら、幸せが逃げるよ

腹を決めて、自分の人生を信じ切って、幸せになろうよ

誰の遠慮もいらないのだから。自分のために、

幸せに自分をしましょう。

自分しか自分を幸せにできないのだから。