台風の影響の災害の復旧が遅々と進まず、
いまだに#災害地では不自由が続いているとのこと
秋風が吹き始め、朝夕は涼しい風が吹いているが、
日中はまだまだ暑い。
入浴もできず、冷房のない部屋で過ごされている方々を思うと
気の毒でならない。
自分の身に起きたらどうなるものだろうかと想像すらできないし、
我慢もできないだろうと
つくづく心配になる。
連休で、時間に余裕ができた私は、
以前より気にかかっていた店の庭のてい入れに精を出すことにしたが、
元来、汗かきの私は、
ほんの少し動いただけで、大汗が噴き出る。
べたべたする肌が、気持ち悪くて、水で顔を洗いたいと思い、
水道の蛇口をひねる。
気持ちよいほど水があふれ出る。
思う存分、水を頂くことができる。
その水の流れを見ながら、被災地の方々が気の毒になる。
そして、今,水を思う存分、使うことができる自分の状況が
本当にありがたいことだという気持ちが広がる。
そして、申し訳なさも溢れる。
#被災地の方々を思うと、
自分も水を我慢しようとか、水を大事に使わなきゃとか
暑さをいかに我慢しようかしらとか、
一日も早い復旧を願い、願掛けしようか?などと考える。
『願掛け』
願掛けを知っているだろうか?
似たものに、『お百度まいり』がある。
幼いころ、宗教家の祖母の元で育った私は、
祖母から願掛けを教えてもらった。
その願掛けは、実に良く効く。
良く叶うというべきだろうか。
しかし簡単なことではない。
『願掛け』は簡単なことではないが、
そのぐらい必死で願うと、ねがいがかなう。
どうやって、願掛けをするのかと気になるだろうが、
一言では話せないので、気になる人は私に直接聞いてほしい。
しかし、願掛けをするには、腹を決める必要はある。
簡単な思いでやってもかなわないだろう。
願掛けは、21日か100日、
長いものなら1年、3年と願掛けをする。
病気の平癒とか、必死になる願い。
自分の身をかけても助けたい命とか
今、私にできるご奉仕は、
被災地の方々の生活が一日も早く、元に戻るように願うことだな~。
毎月やっている願掛けは
食事のできない方のことを思い、自分の食事一食分を寄付すること。
それから、病気で働くことのできない方への寄付。
国も病気の方への補助とかされているが、
その補助などがいただける方は、数少ない。
障碍者の手続きさえ、ハードルは高い。
生活保護も、偽りで申請する方がいるから、本当に困っている人が、
中々申請を認めてもらえない。
なんだか大変なのだよね。
今日、誰かのために、私ができること、一つでも実行する。
『袖すりあうは多生の縁』というが
『見るも因縁、聞くも因縁、』
他者の出来事は私に起きていることと同じなのだ。
人の体にも宇宙があると聞いたことがある人もいるでしょう?
それはどういうことかというと、
勿論、体の部位を惑星に表せることもあるのだけれど
宇宙が一つの人の体だと考えたら、
他者に起きていることは、
私の体の、細胞の一部分が、病気になったり、
故障したり、怪我したりしていることと同じ
他者の喜びも私の喜び。
そのように考えると、世の中の出来事は他人事ではないのだ。
自分が病気になったら当然病院へ行くでしょう?
心配するでしょう?回復するように努力するでしょう。
だから、人のためではなく宇宙である自分の為。
すべて一つ。なんだな。
今日、幸せでしたか?
私は今日もありがたく幸せな一日を頂きました。
どうぞ皆様も、
明日も、さらに幸せな日をすごせますように
。どんどん良くなりますよ。