先日、ある実技研修と実技試験があり参加した

その時に感じたこと、

学んだことがある

 

そん研修会の講師の方が、紙に書かれたことの、お手本を見せてくれて

その通りにやってみるという実技と試験

一番にあてられた私は

その方のやられたように、実演してみた

そしたら、その方から指摘があった。

それは私の性格が、うんぬうんというもの

(えっ?、何が間違っていたの?えっ?性格的なこと?なに?)

 

その後も、何度も私の性格を指摘してくる。

(この実技試験性格かんけいしてるの?。。。。。実技じゃないの?

だんだんムカついてきた。初めの、一、二回は聞き流していたのだけれど

だんだん我慢できなくなり、ついに私は切れてしまった!(・.・;))

はい、!試験は見事におとされた。

だけれど、私はその講師に対して不信感がわいてきて

ついに、『ちょっとお尋ねしますが、私の実技が至らないことはわかります。

しかし、ここで、私の性格うんぬうんは関係しているのでしょうか?

私の性格がうんぬうんとはどういう意味ですか?』。。。

その後、その講師はごめんごめんとわたしにあやまっていたが

『心にもない謝り方はかえって気分が悪いものです。!』と私は、切り口上を。。。

 

私の性格が、完璧で聖人君子で何ひとつ悪いことはないなんてことはない。

そんなことは、じぶんが重々心得ている。

しかし、今日初めてお目にかかった方にそこまで言われなきゃいけないの?と切れてしまったのだ、

 

その後、切れた自分に反省。

そして、何といえばその方に私の言いたかったことが伝えれたのか?と考えたが、

後の黙阿弥。

 

私は思うのですよ。

上に立つものや、例えば誰かに何かを教える、指導する立場に

自分がなった場合、

忘れていけないことは、

今日は、自分が教える立場でも、上に立つ立場でも

場面がかわれば、状況がかわれば

自分がいしえた人から、教えて頂くことはある。

そして、何よりも忘れてはいけないのは

同じ、人間であるという相手に対する尊重。

 

そのことを見失うと、この講師のように

教えている自分は偉いのだ。と下のものと見下し批判し始める。

徳にしてはいけないことは、肉体批判、性格批判

持って生まれた体のことをとやかく言う権利は誰にもない。

また、性格は本人が一番わかっている

自分で嫌な性格だと思うところは、

ほかの人から見たらうらやましいと見えるところであったりもする

 

人に何かを教えるとき、その人を批判するのではなく

褒めて伸ばした方が何倍も効果が上がる。

山本五十六さんも言っているではないか

 

『やってみせ、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かぬ。』

 

その講師は実技を見せた後、

初めてそれを実演してる私の技術ではなく

性格批判をはじめた、

(始めた会うあなたに、私の何がわかる。私の何パーセントを見てそんなこと言うの?)と

腹が立った!

 

人に何かを教えさせていただくとき、

私は、生徒さんにいつも言う。

私を先生と呼ばないでと

ただただ、先に、学んだだけ、

他のことではみなさんから教わることの方がおおいのだから

だから私を先生とは呼ばないで。。。

みんなおなじなんだからと

なので、うちに来てくださる方は

中村さん、とか知奈未さんとかで呼んでくださる

 

今は、セラピストなんて有難いお仕事させてもらっているけれど

すごく、気が短いし、

20数年前までは喧嘩上等という性格で生きてきた。

売られた喧嘩はいくらでも買う。(笑)

その性格は今でも変わらない。

 

久々に頭にきた一日だった(笑)

 

それに引き換え

今、通っているヨガの先生は若いのに素晴らしい。

 

いつも笑顔で、みなさんすばらしい!すばらしい!!!とほめまくる。

そうするとみんなも笑いながら一生懸命にポーズに挑戦している

和やか。

ヨガも上達する。

こうでなきゃ。

 

何事も、みんな上下なく、同じなのだということ

人に対する尊重の心を忘れたら先のような講師になりかねない

いまさらながら、自分も気をつけたいと思わされた。